自分のことも分からず
そこで、やはり有力な方法で考えてみる。というのは、そんなら自分はどうなのか、ということで、他人のことはわからないけれども、自分は自分なので、いまなにを考えているのか、は多分わかるはずである。
そう思って自分の心のなかを十手持ちよろしく探索して驚いた。なにもわからなかったからである。いやさ、勿論、他人には言わぬ心の働きは見つかった。しかしそれは、久しぶりにおかめうどんを食べたいなあ、とか、たまには女をこましたいものだ、といった心の働き、というにはあまりにも単純な欲望に過ぎず、もちろん、それを細かく分割して再構成し、洗練させていけばまったく別物になるのかも知れないし、そうしたカルチャー、おほほ、カルチャーは一部の文学と称するものも含めて世の中に多くあれど、それは読み狂人が知りたいこととはちょっと違うなあ、とも思って。
それで困惑していたときに、やはり自分は読み狂人、還るともなしに本に還り、日和聡子の『校舎の静脈』を読んで二度、驚愕した。人の心のなかがそのまま文章のなかにあったからである。