それに代わって目立つようになったのが、すべてを焼き尽くすかの太陽のもとを生きる人間や動物、島々での儀礼や、そこで使われる祭祀(さいし)のための仮面といった、異様で脱日本的なイメージだった。それだけではない。写真集の後半では、当時の古典的な写真界では邪道とされていたカラー写真までもが登場する。艶(なまめ)かしい色合いによって、クラシックな光と影だけでは決して捉えきれない、南島ならではの色彩の乱反射が「鷲掴(わしづか)み」にされるようになったのである。
この時点ですでに東松の関心は、狭い意味での「沖縄」を完全にはみ出ていた。撮影の旅は沖縄本島から宮古島に拡大し、八重山諸島に至り、いつのまにか海を経て、さらに南へと連携する群島的な領域へと入り込んでいった。もともと東松は海に大きな興味を持ち、海だけを撮影した写真集まで出していた。陸と違って、海に明確な国境線はない。
写真を通じて太陽の光を追い、南へ南へと向かう東松の目線が、その延長線上に「日本」という国土さえ離れ、台湾、フィリピン、ベトナム、タイ、マレーシア、インドネシアなど合計7カ国、全17地域におよぶ島々へと拡大していったとしても、ごく自然なことだったと言えるだろう。