見る者を海の彼方へ誘う
会場に一歩足を踏み入れる。すると、一点一点の写真が個々のフレームに収められ、独立しながらも、まるで沖縄から八重山諸島、そしてその先に位置する東南アジアの海に散らばる無数の島を渡る旅のように、めまぐるしく視線の跛行(はこう)を誘発する。いつのまにか、見る者は写真を見るという行為が、絵画の鑑賞などよりも、はるかに終着点のない旅に近いことを実感させられるのである。
『太陽の鉛筆』では、表面的には社会的・政治的関心が一掃されているかに見える。けれども、こと、ここに至ってはどうだろう。基地という現実を抱える沖縄は、東京という一国家の首都との求心力によって成り立つ。けれどもその南方には、遥(はる)か彼方(かなた)まで海によって繋(つな)がる、もっとはるかに広大な領域が存在しているのだ。いままた、基地問題で理不尽な無理を強いられる沖縄からの眼差(まなざ)しが、次第にそちらに向かうようになっても、なんの不思議もない。いや、本来はそのほうが自然なのではないか。東松がカメラを抱えて追った「太陽の鉛筆」の筆致の先を観(み)ていると、そんな思いに強く捉えられるのである。(美術批評家、多摩美術大学教授 椹木野衣(さわらぎ・のい)/SANKEI EXPRESS)