日本にはさまざまな英雄伝説が数多く存在する。鼠小僧(ねずみこぞう)、赤穂浪士(あこうろうし)、新撰組(しんせんぐみ)などは誰もが知っている。
ここ石垣島で受け継がれているのが、八重山の英雄といわれた豪族、オヤケアカハチ(遠弥計赤蜂)の物語だ。
時は1500年、琉球王国は第3代の尚真王(しょうしんおう)が権力を拡大していた。反発したオヤケアカハチは、石垣島の島民の支持を背景に、琉球王国への貢ぎ物を拒否。怒った尚真王はオヤケアカハチ征伐のために、豪族の長田大主(なあたふうしゅ)を任命。長田とオヤケアカハチは、同じ波照間(はてるま)島出身の幼なじみという因縁があった。
長田が率いる討伐軍は約3000人。迎え撃つオヤケアカハチの味方は村人たちのみ。これが今も「オヤケアカハチの乱」と語り継がれている戦いだ。追い詰められたオヤケアカハチは最期の日の前夜。幼なじみの長田とひそかに会い、村人たちを救うため、自ら犠牲となることを志願。長田に手を下してもらい、八重山を守ってほしいと懇願するシーンがクライマックスだ。
意をくんだ長田は翌日、オヤケアカハチを討ち取り、討伐軍が勝利を収めた。この乱を機に尚真王は八重山諸島を制圧、1522年には与那国島を制圧して中央集権化を図り、琉球王国の最盛期を作った。