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石垣島から 郷土の英雄「オヤケアカハチ」 (1/3ページ)

2016.1.11 17:00

石垣島西端に位置する御神崎灯台から見た空と白い雲、そして太陽=沖縄県石垣市(永山真治さん撮影)

石垣島西端に位置する御神崎灯台から見た空と白い雲、そして太陽=沖縄県石垣市(永山真治さん撮影)【拡大】

  • 郷土の英雄「オヤケアカハチ」を語り継ぐ舞台は、子供たちがプロ顔負けで大活躍する=2015年12月20日、沖縄県石垣市の石垣市民会館(永山真治さん撮影)
  • 郷土の英雄「オヤケアカハチ」を語り継ぐ舞台は歌に踊りに気迫があふれている=2015年12月20日、沖縄県石垣市の石垣市民会館(永山真治さん撮影)
  • 12月になるとススキのような花を咲かせるサトウキビ。石垣島の季節は「秋」だ=沖縄県石垣市(永山真治さん撮影)
  • 石垣島では12月でもブーゲンビリアが咲き乱れる=沖縄県石垣市(永山真治さん撮影)
  • 石垣島西端の御神崎灯台から見る夕暮れ=沖縄県石垣市(永山真治さん撮影)

 日本にはさまざまな英雄伝説が数多く存在する。鼠小僧(ねずみこぞう)、赤穂浪士(あこうろうし)、新撰組(しんせんぐみ)などは誰もが知っている。

 ここ石垣島で受け継がれているのが、八重山の英雄といわれた豪族、オヤケアカハチ(遠弥計赤蜂)の物語だ。

 時は1500年、琉球王国は第3代の尚真王(しょうしんおう)が権力を拡大していた。反発したオヤケアカハチは、石垣島の島民の支持を背景に、琉球王国への貢ぎ物を拒否。怒った尚真王はオヤケアカハチ征伐のために、豪族の長田大主(なあたふうしゅ)を任命。長田とオヤケアカハチは、同じ波照間(はてるま)島出身の幼なじみという因縁があった。

 長田が率いる討伐軍は約3000人。迎え撃つオヤケアカハチの味方は村人たちのみ。これが今も「オヤケアカハチの乱」と語り継がれている戦いだ。追い詰められたオヤケアカハチは最期の日の前夜。幼なじみの長田とひそかに会い、村人たちを救うため、自ら犠牲となることを志願。長田に手を下してもらい、八重山を守ってほしいと懇願するシーンがクライマックスだ。

 意をくんだ長田は翌日、オヤケアカハチを討ち取り、討伐軍が勝利を収めた。この乱を機に尚真王は八重山諸島を制圧、1522年には与那国島を制圧して中央集権化を図り、琉球王国の最盛期を作った。

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