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【だから人間は滅びない-天童荒太、つなげる現場へ-】(7-2) 自然は財産 都会の人に「幸せ」提供

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【だから人間は滅びない-天童荒太、つなげる現場へ-】(7-2) 自然は財産 都会の人に「幸せ」提供

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1991年から2005年に四賀村(しがむら)が松本市に合併されるまで村長を務めた中島学さん。現在、農事組合法人「会田共同養鶏組合」会長理事=2014年、長野県松本市(緑川真実さん撮影)  日本初のクラインガルテンを誕生させたのは、当時四賀村の村長だった中島学さん(84)。クラインガルテンに込めた思いを聞いた。

 天童荒太さん(以下天童) 四賀クラインガルテンは、都会と農村を地道につなげていらっしゃる。どのように、ここが生まれたかをお聞かせいただけますか。

 中島学さん(以下中島) 私は1980年代の半ば、ある団体の仕事で、東京の新宿に4年ほど暮らしていたことがあるんです。冬は長野県人も大丈夫なんですが、夏になると息苦しくてたまらない。週末に長野へ帰ってくると、空気が違う。ああ、ふるさとへ帰ってきたなあ、としみじみ思う。そのとき感じたのは、東京の人はかわいそうだということ。たまたま私たちは大自然を維持できている。仕方がなく経済圏にいるかわいそうな人たちにこの自然を開放すべきだと。

 ここは今は松本市ですが、昔は四賀村(しがむら)といいました。面積の82%がなだらかな里山ですが、新潟港まで流れる信濃川の最上流という非常に重要な場所でもある。水を作る場所ですから、汚れた水を流してしまうと、海で近海魚を汚染してしまう。ですから、環境保全をしなければならない。それには、ここに住む人を出発点として、日本中の人が広く関われる環境教育をしようと決めました。

 そこでお手本にしたのがドイツです。ドイツのクラインガルテンは電気も水道もない。バケツで水をくみにいく。重いけれども、その一滴一滴が命をはぐくむのだと学ぶ。蛇口をひねって水が出てくるのでは、ありがたみが分かりませんよね。

 それを日本でやろうとしたら、これほど最適な場所はない。ここでは利用者確保のためやむを得ず電気と水道をひきましたが、最低限にしてくださいとガルテナーにはお願いしている。せっかくここに来て、テレビをずっと見ているのではもったいない。今自分がここにいる意味はなんだろう、これからどこにいくんだろうと、どんどん内に問いかける。そういう場所にしてほしい。

 農地法、予算の壁

 天童 初めてクラインガルテンを知ったのは何がきっかけだったのですか。

 中島 もともと、村議会の視察などでヨーロッパへ行く機会があったのですが、クラインガルテンとの出会いはイタリアでした。ローマからナポリへ行く途中、高速バスから遠くに小さな小屋が集まっているのが見えた。ローマに帰ってきて、どうしても気になって、自分でタクシーで行ってみたんです。「貧民窟かな」と思っていたら、とんでもない。クラインガルテンでした。本当に豊かな生活がそこにあった。

 日本は当時、所得倍増計画のまっただ中。残業をいっぱいして、お金をためるのがよしとされていた。1日中仕事して、くたくたになって帰って、また目が覚めれば出勤。猛烈な働き方です。そんな中で、クラインガルテンを知った。なんという豊かな、本当の人間性を追求するとはこういうことだと思った。

 天童 日本の豊かさの概念で貧民窟だと思って行ったら、実は一番豊かな暮らしがあった。それはショックだったでしょう。さあそこで、日本でクラインガルテンを始めようとされたわけですが、土地の開発やら滞在施設の建造やら、とにかく予算がいりますよね。(構成:塩塚夢/撮影:フォトグラファー 緑川真実(まなみ)/SANKEI EXPRESS

 ■なかじま・まなぶ 1929年、長野県四賀村(現・松本市)生まれ。15歳で出征。終戦を特攻隊員として長崎県で迎える。全国養鶏経営者会議会長を経て、91年から2005年に四賀村が松本市に合併されるまで村長を務める。現在、農事組合法人「会田共同養鶏組合」会長理事。

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