SankeiBiz for mobile

【溝への落とし物】腹の立つこと 本谷有希子

ニュースカテゴリ:EX CONTENTSのエンタメ

【溝への落とし物】腹の立つこと 本谷有希子

更新

ずっと見ていたら、だんだん美しい光景に思えてきたので撮影(本谷有希子さん撮影)  DVDをエンドロールまで鑑賞し、停止すると、テレビで「知らない人のお宅の台所に突撃して、冷蔵庫を見せてもらう」というコーナーが流れていた。スーパーの出入り口で、買い物袋を掲げた気の弱そうな家族とリポーター役の若い女性タレントのあいだで押し問答が繰り返されている。

 ――本当に、ちょっとだけ、ちょっとだけお家にお邪魔させてもらえませんか?

 ――ええ、今からいきなり? 無理無理。

 ――そうですよねえ。でも奥さん、そこをなんとかお願いします!

 ――掃除してないから。散らかってるから…。

 ――そんなの全然、いいです。全然大丈夫ですから!

 ずれた反応の言いぶんはなんだ

 私はテレビを消すと、台所に行って夕食の準備を始めた。今日の献立は、久しぶりの鍋である。白菜の葉を根元から折り、水洗いし、まな板の上でざくざくと刻んでいると、さっきのリポーターの言いぶんに、なんだか納得のいっていない自分に気がついた。

 家の持ち主が、汚いから嫌だと断っているのに、映されたくないと拒んでいるのに、それに対する返答が「いいですよ」とは、何事か。よく考えると、少し、いや、かなり論点がずれているのである。「散らかっていても大丈夫、気にしない」という気遣いだろうか? だとすれば、そりゃあ、あの若いリポーターは大丈夫に決まっている。散らかっている家として全国に部屋の様子を放送されるのは、主婦とその家族ではないか。にもかかわらず、あかの他人が一体なんのつもりで「いいです、大丈夫」と許可していたのか。一見、変哲もない会話だが、実はまったくつながっていない。

 自分もどちらかと言うと、他人の言葉にあっさり惑わされてしまうところがあるせいで、余計腹が立ってしまうのかもしれない。私の中の「会話のずれ」に対するセンサーが敏感に反応し、思わず、包丁を握る手に力が入る。

 そう考えれば、子供の頃から、この「会話のずれ」というものに強い興味を覚えていた。それをはっきり意識したのは、少しずつ水の温度をあげていくと、ヤカンの中で茹でられたカエルは、熱いと気づかないまま死んでしまうという話を聞いたときだったと思う。ああ、そうか、そうやって騙(だま)していくのか! と妙に興奮したものだ。

 私も何かを、少しずつずらしてみたい、と思った。そこで私はまず手始めに、妹の名前を全く別人の「ゆり子」にすり替えてしまおうと、日に日に彼女をゆり子であるかのように扱ったが、うまくいかなかった。友達を動く椅子のように信じ込ませようとしたが、やはりうまくいかなかった。中学の時は部長の権限をいかして、「テニス部」を「テニスをしないテニス部」に巧妙に変えていこうとしたが、それもまったくの徒労に終わったのである。

 強引に言いふくめる不快さ

 私に、会話をずらしていく才能がないことは明らかだった。巧みな言葉で人をそそのかすこともできなければ、じっくりと時間をかけるだけの根気や計画性にも欠ける。そもそも「何をどうずらしていくか」というセンスが、決定的になかったのだ。いつしか諦めた。だがおかげで、「ずれているもの」に対しては、妙に目ざとくなった。

 会話をずらすなら、大胆で、緻密で、独創的であってほしい。「大丈夫いいですよ」の一点張りで、買い物帰りの相手を強引に言いふくめるなんて、不快で見るに堪えない。それになんと言っても、こんな強引なずらし方では、相手が気持ちいいはずがないではないか! 弱火にかけられ、じっくりじっくり茹でられていたカエルは、おそらく自分が絶命する直前まで、「いい湯だなあ」と極楽気分だったに違いないのである。

 ああ、腹が立つ、あのリポーターの言いぶん腹が立つなあ、とますます白菜を切る手に力がこもる。(劇作家、演出家、小説家 本谷有希子/SANKEI EXPRESS

 ■もとや・ゆきこ 劇作家、演出家、小説家。1979年、石川県出身。2000年、「劇団、本谷有希子」を旗揚げし、主宰として作・演出を手がける。07年、「遭難、」で鶴屋南北戯曲賞を受賞。小説家としては短編集「嵐のピクニック」で大江健三郎賞、最新刊「自分を好きになる方法」(講談社)で、第27回三島由紀夫賞を受賞。

ランキング