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【溝への落とし物】私の憧れる奥さん 本谷有希子

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【溝への落とし物】私の憧れる奥さん 本谷有希子

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ドイツ、ケルンの大聖堂にて。自動販売機から列車のチケットが一人で買えたことに感動(提供写真)  商店街で買い物をしていると、たまにおしっこを漏らしてしまったのではないかとびっくりすることがある。いや、正確には「おしっこを漏らした時のような感覚」に襲われ、思わず下半身が濡れていないか確認してしまうという意味だが、大事なのは、私にとってそれがちっともいやぁな感じではなく、むしろ何かから解放されたような幸せな気分だということだ。

 商店街はいい。やはり、あの笑顔で交わされる挨拶が関係しているのだろうか。人と人との触れ合いか。もしかして、心にあったかいものがじんわり広がっていくその感じが、放尿した時とどことなく似ているから、私の脳みそがいちいち混乱するのかもしれない。私は頭でおしっこを漏らしているのだ。そういえば放尿と商店街に共通しているのは、何とも言えない多幸感ではないか。

 手間暇かける快感

 いつも通っていたスーパーがあっけなく潰れてしまい、2カ月ほど前、私は近くの商店街で買い物をするようになった。初めの頃、私はてっきり手間のかかる分だけスーパーよりも安くあがるだろうと思っていたのだが、実は、大量に仕入れられない分、スーパーよりも割高なものも多い。お会計もそれぞれの店で別々にしなければならない。つまり、面倒な上、高いのである。しかし今の私は夕方になると、机からいそいそと立ち上がり、財布を握りしめて家を出る。

 そして、商店の一軒一軒を回って、少しずつ夕食の材料を揃えていくのである。手間暇かける贅沢というものを知ってしまった。快感だ。頭のおしっこだって、じょぼじょぼ漏れていく。

 そういえば、結婚してすぐ、私は「奥さんの中の奥さん」に憧れた。私の考える「奥さん」とは、生活する才能に恵まれた人、つまり、生活を愛し、生活に愛される才能がある人のことだった。

 私の考える「奥さん」は、日常に潜むあらゆるものの魅力を最大限にひき出し、とことん楽しみ尽くすことができるのである。それは、雑誌やネットでちらほら見かける「カリスマ主婦」とは、まったく違う楽しみ方だ。例えば、カリスマ主婦がみんな、なんとなく広告の中の人物のように嘘くさいのに対し、「奥さんの中の奥さん」は他人の目などちっとも気にしない。カリスマ主婦が、おいしく華やかな料理を手際よくばばっと仕上げるのに対し、「奥さんの中の奥さん」は、野菜を細かく刻み続けるというミクロな行為の中に、宇宙(マクロ)を感じることができる。たまに、キッチンで諸行無常を理解してしまう。

 彼女は生活を愛し楽しむ

 カリスマ主婦は洗濯物を整理整頓されたおしゃれな棚に合理的にしまうに違いない。しかし、「奥さんの中の奥さん」は、畳んで積み上げたバスタオルのひだとひだの重なりがミルフィーユのように作りあげる層に、一人うっとりと美を見いだす。彼女には生活を楽しむ才能があるのだ。生活の隅々を、愛することができるのだ。

 商店街はいい。しかし、ちょっとした悩みもある。他のお客はいとも自然に八百屋のおじさんと世間話をしているというのに、私だけがどうもぎこちない。まだ馴染んでいないのだ。もしこれが「奥さんの中の奥さん」ならば、どんな会話をするだろうと想像しながら、私は今日も買い物袋を受け取る。帰り道、奥さんならば雲の形をじっと観察しそうではないかと、立ち止まって空を見上げる。そんなわけで、もちろん知らない道を見つけたら、「奥さんならばっ」と迷わず入っていく。

 どこかから夕飯の匂いが漂ってきて、くんくんと嗅いでいるうち、またしても、じわっとおしっこが漏れそうになることもある。そんな時パンツが濡れていなくてほっとしながら、私はしみじみこう思うのだ。それにしても丁寧に生きるというのは、おもしろいなあ。ほんと、すごく、おもしろい、と。(劇作家、演出家、小説家 本谷有希子/SANKEI EXPRESS

 ■もとや・ゆきこ 劇作家、演出家、小説家。1979年、石川県出身。2000年、「劇団、本谷有希子」を旗揚げし、主宰として作・演出を手がける。07年、「遭難、」で鶴屋南北戯曲賞を受賞。小説家としては短編集「嵐のピクニック」で大江健三郎賞、最新刊「自分を好きになる方法」(講談社)で、第27回三島由紀夫賞を受賞。

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