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【逍遥の児】創作洋菓子の先駆者
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フランス・モンペリエ 秋。日曜日の朝。青い空が広がる。すがすがしい。わたしはJR市川駅(千葉県市川市)で下車した。白いビルが見える。フランスの国旗が掲げられている。洋菓子店「モンペリエ」。ここだ。
経営者は、神保(じんぼ)勝司さん(72)。創作洋菓子業界の先駆者だ。店の奥。白い帽子。白い服。緑のエプロン。若い職人と一緒に洋菓子を作っている。忙しそうだ。しばらくして現れた。
「どうも、お待たせしました」
店の一角。椅子に座る。地元・市川の名産、梨の冷たいジュースを飲みながら、取材を始めた。
神保さんは神奈川県川崎市出身。実家は菓子店だった。高校卒業後、「おやじと同じ道を」と菓子職人を志した。千葉市内の菓子メーカーや東京・銀座の一流店で修業した。転機は27歳。1969(昭和44)年、洋菓子の本場、フランスに渡った。当時、日本の通貨、円は安く、海外渡航は難しい時代だった。
地中海に近いモンペリエ市。アパートで1人暮らし。名店で研修を積んだ。中世から続く文教都市。16世紀、医師として活躍、謎に包まれた予言を残したノストラダムスも若き日、この街で学んだという。美しい自然。豊かな食材。すっかり気に入った。ある日、市長と会う機会があった。神保青年はいった。「帰国したら、独立して店を構える。店名を『モンペリエ』としてもいいだろうか」。日本男児の心意気。市長はその場で快諾したという。
市川駅前に小さな店(当時7坪)を借り、開店した。しかし、現実は甘くはない。洋菓子がさっぱり売れない。1日の売り上げが2000円…。それでもめげなかった。工夫をこらして創作洋菓子を作り続けた。おいしい菓子の評判は徐々に高まっていった。
いま、従業員15人。店の経営は順調だ。台湾にも出店を果たした。全国から洋菓子職人が見学に来るようになった。洋菓子一筋の人生が花開いた。
――若き洋菓子職人に助言を
「何百万円も学費を払って製菓専門学校を出て2、3年でやめちゃう子が多い。洋菓子業界は、完全なる日本の職人の世界です。最低10年は辛抱を。技術を継承できます」(塩塚保/SANKEI EXPRESS)