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【まぜこぜエクスプレス】Vol.30 「一緒に何かする」こと普通に パラリンピック競泳メダリスト 成田真由美さん
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「水の中では自由になれる」と話す成田真由美さん(撮影協力・横浜サクラスイミングスクール、山下元気さん撮影) パラリンピックの競泳でアトランタ、シドニー、アテネ、北京の4大会連続で計20個のメダル(金15、銀3、銅2)を獲得した成田真由美さん(44)。講演やイベントなどで全国を飛び回る一方、泳げる日はできる限りプールへ行く。「東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会」理事としても精力的に活動している彼女に話を聞いた。
水着に着替えた成田さんはぬれてもよい車椅子に乗り換え、シャワーを浴びる。そして、介添えをしてもらい、すべるようにプールに入る。
するとどうだ! 水を得た魚のごとく、自由自在に優雅に泳ぐ。すべて腕の力だけで。実に気持ちよさそうに。さっきまでの彼女とは別人のよう。まるで魚だ。「ゆっくりだと何時間でも泳げますよ」とイタズラっぽく笑う。
競泳選手なんだから当然と思うかもしれないが、なんと水泳を始めたのは23歳から。それまではカナヅチだったという。いったいその向上心はどこからくるのか…。「お店の入り口などにスロープがなくて回り道をしなくちゃならなかったりと、我慢を強いられる場面がたくさんあって、性格は丸くなったと思う。半面、自分に負けたくないという気持ちがよけいに強くなった」と、また肩をすくめて笑う。
彼女の半生は波瀾(はらん)万丈だ。中学生の時に横断性脊髄炎を発症し下半身麻痺。以後も、心臓病、高血圧症などで20回以上の入退院を繰り返す。さらに23歳で初めて出場した水泳大会の帰り、交通事故に巻き込まれ頸椎損傷。左手の麻痺、体温調整も利かなくなり、障がいが増えてしまった。「手術の回数も数えられない。両手両足じゃ足りないもの」と。幾重のピンチ歴に唖然(あぜん)。まるで不死鳥のようだ。
そんな成田さんが現在、エネルギーを注ぐのが「東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会」理事としての活動だ。彼女の体験を通し、日本の現実は2020年のオリンピック・パラリンピック開催国としてどう映っているのか。
「日本人は障がい者に慣れていない。困っていても、遠巻きに見ているだけ」と厳しい。車椅子で立ち往生していても「お手伝いしましょうか」「大丈夫ですか?」と声をかけてくる人は少ないという。「2020年にむけて変わらなくちゃならない。建物を作るにはお金がかかるけど、意識を変えるのにお金はかからない」。そのためには教育が大事だと彼女は言う。
「家庭でも学校でも、子供は大人を見ている。障がい者用の駐車スペースにとめるのも大人。車椅子を差し置いてエレベーターに先に乗っちゃうのも大人」
日本では障がいのある子供は特別支援学校などに通うことが多く、日常的に接する機会が少ない。「だから、悪気はなくても接し方がわからないまま大人になる。加えて外出しづらい環境が、余計に障がいのある人たちを引きこもらせてしまい、街に障がい者が出ていかないという悪循環がおこる」と、彼女は指摘する。
インタビューをした日は、彼女が久しぶりに出場するという試合の前日だった。その試合とは、健常者のマスターズの大会だという。世界的に有名なパラリンピックメダリストが一般の大会に出場する。その結果は?
「若い時はうーんと差をつけられてビリだったけど、最近ブービー賞をとれるようになりました」と笑顔で悔しがる。最初は負けたことが悔しくて泣いてしまったという彼女が、出場し続けているのには理由がある。「車椅子で来た人でも、健常者と一緒に泳げるということを知ってもらいたい」。日本身体障がい者水泳連盟に登録している人だけで現在約600人いるという。
けれども、車椅子のスイマーを受け入れてくれるプールや一般の大会は少なく、関東では成田さん以外に健常者の大会に出る人は多くはない。「健常者も障がい者も関係なく、いろんな人が一緒に何かをすることが普通になってほしい。そうなるきっかけをどんどん作りたい」と彼女は考えている。「そのためにどんどん声を出していきます」。最後はやっぱり笑顔だった。(女優、一般社団法人「Get in touch」理事長 東ちづる/撮影:フォトグラファー 山下元気/SANKEI EXPRESS)