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ウイスキーづくり育む文化と誇り
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ベンネヴィス蒸留所で作業する従業員。真剣なまなざしにスコットランド人の誇りがにじむ=2014年9月22日、英スコットランド・フォートウィリアム(大西史朗撮影) NHK連続テレビ小説「マッサン」のモデルとなった「ジャパニーズウイスキーの父」竹鶴政孝氏と、彼を支えた最愛の妻、リタさん。彼らの足跡をたどって、英スコットランドを訪れた。そこには竹鶴氏がウイスキーづくりの手本にしたスコッチウイスキーを含め、独自の文化に対する熱い思いがあった。
旅は「首都」であるエディンバラを出発点に、リタさんの出身地であるカーカンテロフ(現在のイーストダンバートンシャー地区)、2人が将来を誓い合ったローモンド湖畔、フォートウィリアムと北上。さらにネス湖からインバネス、「スペイサイド」と呼ばれるスコッチウイスキーの一大産地を巡り、イングランド軍との攻防戦で名高いスターリング城を経て、産業革命の拠点だったグラスゴーへと続いた。
直前に住民投票が行われ、独立は退けられていたが、エディンバラ城や国立美術館、ネス湖に臨むアーカート城やスターリング城での展示や解説には、イングランドに対抗して独立を守った先達たちへの親愛と尊敬の念があふれていた。
1894(明治27)年生まれの竹鶴氏が、ウイスキーづくりを学ぶためスコットランドに滞在していたのは、1918(大正7)年からの2年あまり。日本も普通選挙実施や言論・出版の自由を求める「大正デモクラシー」の時代だった。
イングランドに対する反骨精神、ウイスキーづくりという独自の文化を維持しながら「普通の生活」を大切にするスコットランドでの経験が、竹鶴氏のその後の人生に大きな影響を与えたことは否定できない。
竹鶴氏はウイスキー製造実習の成果をまとめた「竹鶴ノート」で、当時のスコットランド人職工の暮らしに言及しつつ、「一般社員も(中略)退出時間が来たら遠慮なく家に帰り、家庭をもつ者は皆々そろって楽しい夕べを過ごすというようになって欲しいと思います。これは、単に人生を有意味に暮らすということのみならず、およそ人として踏むべき道ではありませんでしょうか」と記している。
取材で2カ所の蒸留所を訪れたが、すべての従業員が蒸留所の伝統と自らの仕事に誇りをもって、「世界一のウイスキー」づくりに取り組んでいた。
滞在中、「ヒース」と呼ばれるツツジ科エリカ属の植物をよく見かけた。南アフリカ原産だが、スコットランド北部に多く生育し、低温・高湿度の気候に耐え、夏から秋にかけて紫色の小さな花をたくさんつける。
ヒースは枯れて湿地帯に堆積すると質のいい草炭(ピート)になる。ピートはモルトウイスキーの原料である大麦麦芽を乾燥させる燃料となり、麦芽には「ピート臭」という独特の香りがつく。ウイスキーづくりを陰で支える花だ。
竹鶴氏が蒸溜所を建設した北海道・余市の駅から蒸溜所までの道、通称「リタロード」にもヒースが植えられている。
スコットランド人としての誇りを終生、失わなかったリタさん。その愛に支えられた竹鶴氏の「ジャパニーズウイスキー」づくりは、まるでヒースのように日本の大地にしっかりと根付いた。