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【パリの中庭】ありのままの姿 丸若裕俊
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金属の静けさ、美しさとともに、安らぎを感じさせる菓子皿とフォーク=2014年9月24日(宮川浩和撮影) 石川県金沢市。いうまでもなく歴史の町だが、2015年春の北陸新幹線開通を目前にし、新しい魅力が生まれようとしている変革の町でもある。この土地に、かつて花街として栄えた東茶屋街がある。情緒ある日本家屋がずらりと並び、近年では観光地として多くの人々が訪れている。この町の裏道を進むと「Sayuu」という店舗が見つかる。主人である竹俣氏と出会ってから約10年。私は、こんなにも自然体でありながら、研ぎすまされた感覚を持つ人を他に知らない。
竹俣氏の生み出す品々は、金属加工の技術を用いたジュエリーやテーブルウェアとさまざまだが、その全てに一貫して竹俣氏の“らしさ”を見ることができる。金属の加工は、その他の技術同様に多くの知識と経験を必要とする。一方、技術によりすぎてしまい、温かみを失いやすいものでもある。しかし竹俣氏は、古典への深い知識と伝統的な技術を、まるで呼吸するかのように用いる。そうして出来上がった品物には自然にとけ込むかのような存在感があふれ、金属の静けさ、美しさとともに、仕事を施されたことによる安らぎを感じさせ、強烈に手にし、使いたいと思わせる。自己の主張をこれでもかと盛り込むのではなく、美しさを追い求めることにこそ重きを置き、その品が持つ価値を見いだすことは使う人々に委ねる。ものづくりに誇りを持ち、作り手にとって勇気のいることを竹俣氏は当たり前のようにやってのけてしまうのである。
近年“伝統”という言葉が一人歩きしているように思える。“伝統”=“年月”をうたったり、伝えたりすることが美徳のようになりすぎてはいないだろうか。それが社会全体に影響を及ぼす一種の強迫観念となり、“伝統”とつくものはすべて肯定的にとらえ“美しい”と答えなければならないという感覚に陥っているように思える。こうした風潮は、一部の人々の優越感を満たすばかりで、使い手となる人々との乖離(かいり)を招いてはいないだろうか。“伝統”という言葉を表面的にあしらった、本質を見失った“和風”には、作り手と使い手との真の関係をつくるに至らない。
先人たちが培ってきたものに寄りかかり、どう維持していくのかを重視するのではなく、強い信念の元、未来をどう見据え現代と向き合うことこそが重要だと考える。そうした姿勢は、国や人種を超え人々をひき付け感動させる。その結果が、時代を超え本質として残るのであり、伝統の本来の姿である。
今回ご紹介した品はモダンでありながらたいへんにシンプルであるが、竹俣氏が過去を見つめ、現代と向き合ったその姿勢を十二分に見てとれる。だからこそ、使う私たちに喜びと日本の伝統的な美意識を感じさせてくれる優れた道具といえるのではないだろうか。(「丸若屋」代表 丸若裕俊(まるわか・ひろとし)/SANKEI EXPRESS)