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言葉という「怪物」 五・七で手なずける 「スナーク狩り」 穂村弘さん訳
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絵本の翻訳を多数手がける穂村弘さん。「ある翻訳家がおっしゃっていたのですが、翻訳は球体に光を当てるようなもの。どうしても影ができてしまう。すごく難しいですね」=2014年10月30日(塩塚夢撮影)
現代短歌を代表する歌人の一人であり、絵本の翻訳も多数手がける穂村弘さん(52)が、今度はルイス・キャロルが残した謎の韻文詩『スナーク狩り』の訳に挑んだ。『不思議の国のアリス』で知られるキャロルの知られざる名作をニューウエーブ短歌の旗手が大胆に翻訳。さらに、今年生誕100年を迎えたムーミンの作者、トーベ・ヤンソンの挿絵がシンクロする。キュートで不思議な一冊に仕上がった。
誰もその姿を見たことがないという謎の怪物スナーク。その怪物をつかまえようと集まった、ベルマン、靴磨き、帽子屋、弁護士、ブローカー、ビリヤード・マーカー、銀行家、パン屋、肉屋の9人と、1匹のビーバー(!)。個性的で奇妙キテレツなハンターたちの冒険をつづったナンセンス詩だ。「ルイス・キャロルとトーベ・ヤンソン。夢のような組み合わせの本があると編集者から聞かされて、思わず翻訳の依頼に飛びついてしまいました」
とはいえ、原作は19世紀の韻文で、しかもキャロルは言葉遊びの達人だ。「それまでも『スナーク狩り』は読んだことがありましたが、正直よくわからなかった(笑)。ものすごく複雑で、技巧がたくさん凝らされている」
この“怪物”に挑むにあたり、一つの作戦を決めた。「この作品は既訳もありますが、原作の性格もあって、どうしても脚注が膨大になってしまう。脚注なしでも読めるような別の楽しみ方を提示したいと思った。何も知らない人が読んでも、日本語として楽しめるようには、どうしたらいいかと考えました」
遊びと謎に満ちた原作の韻文性を日本語に移し替える“武器”として選んだのは、日本の長歌形式だった。「五・七」のリズムを繰り返し、最後を「五・七・七」で終えるスタイルだ。「単純に僕が短歌をやってきたからということもありますが、長歌形式なら、黙読でもリズムを楽しめる」
指を折りながら、パズルのように言葉を組み合わせていった。たとえば、この通り。《スナークのいそうな場所だ!/もう一度繰り返したぞ 俺たちの胸に勇気を/スナークのいそうな場所だ!/もう一度繰り返したぞ 同じことを三度云ったら現実になる》
「普通は言葉から映像を想像して読みますが、韻文はそれと同時に言葉そのものを読むもの。僕がここでやりたかったのも、そういうこと。言葉そのものの感触やリズムを手渡したい」
読んでいて純粋に「楽しい」と思えるのは、言葉そのものの鮮烈さゆえだ。
《「性質について云うならジャブジャブは/年中さかりがついている/服のセンスは滅茶苦茶で/千年先のファッションモデル》
「さかり、滅茶苦茶、千年先のファッションモデル…単語一つ一つの組み合わせがショートポエム。エンタメ的な読み方で完結してしまうと再読できないけれど、韻文は読み込むほどに味が深まる」
未知の怪物に向き合うようなスリリングさに満ちた本書。「私たちには普段自分たちのなじんでいる言語感覚以外のものを味わいたいという潜在的な欲求がある。『スナーク狩り』を長歌形式でやるというだけでも、想像つかないですよね。私自身もそんな不安と期待を味わいたい。今は、共感の方が求められがちですが、それは現状をただ守るだけ。驚異こそが、世界を反転させ、可能性を広げてくれる」
「翻訳は本当に難しい」と悩みながらも、それでも翻訳を続けるのはなぜか。
「翻訳は日本語の問題につながっていく。例えば、ある作品は『グレー』という色を表現するのに原文では直訳すると『雨の日の空の色』という言葉だった。しかしそれを『雨の日の空色』としてみると、『空色』は普通ブルーという先入観がありますから、イメージの反転が起こって、とてもポエジーになる。『の』を取るだけで世界ががらっと変わってしまう。すごく可能性がありますよね」
言葉という怪物を追う。冒険は続く。(塩塚夢、写真も/SANKEI EXPRESS)
「スナーク狩り」(ルイス・キャロル著、穂村弘訳、トーべ・ヤンソン挿絵/集英社、1200円+税)