松尾道夫さん(以下松尾) その一つの方法が、「お祭り」でいい。祭りをすることで、離れた地域だけじゃなくて、近所の顔も見えるし。うちのNPOがある地元の商店街のお祭りに、南会津から来てもらったりね。お互いに交流しておけば、何かあったときに役に立つ。川内村は今は支援を受ける側ですが、今度首都圏で何かあったら支援したいと言っている。もらいっぱなし、やりっぱなしじゃなくて、お返しできるような仕組みを作っていく一つのツールでもあります。
同時被災のリスクなし
天童 いわゆる親戚づきあいですよね。地縁血縁のない離れた地域に、新しく親戚を作るようなことをやられた。
松尾 川内村に有機農法をしている農家があってね。そこで種付けしたコメを送ってもらって、うちの近所のすし屋ですし飯にして、大宮市場でネタを買って。去年11月の終わりごろ、仮設住宅に行ってすしを無料で炊き出ししたりね。避難している人は、川内村のコメを食べれてうれしいし。うちの地元の若いメンバーも、それによって支援の輪に加われる。今度、川内村で商業施設ができるんですが、食堂もいるだろうと。じゃあ、うちの地元の店が定食屋だそうかという話もしてる。行くことによって、顔の見える関係が、つながりができてる。首都圏で何かあっても、「コメがない」と言ったら川内村から送ってくれますよ。
天童 同時被災のリスクがない地域がつながるというのは、人々の生存とか救援のためにはもちろん、「いざというときには助けてくれる場所がある」という安心感や精神的なゆとりの面でも、これからの日本にすごく必要ですよね。
豊島亮介さん(以下豊島) それをさらに深めるのが今回の訓練。他の地域でも地域間共助の取り組みはしていて、「こういうネットワークを作るので、災害時はこう助け合おうと思っています」というもの。ただ、われわれはすでに実際に経験してしまっているので、その経験と教訓をしっかりとまとめて、必ず起こるであろう首都圏災害に備えようという。松尾さんのことは以前から知っていたのですが、「これまでの活動を帰結させたい。一緒にやってみないか」って声がかかって。
天童 なるほど。にしても、どうしてそこまでがんばれるのか、という疑問はまだ完全には解けないんですが、松尾さんはどんなお子さんだったんですか?
松尾 うちのオヤジはね、生協の専務理事やってた。市会議員もしていたね。影響受けてるのかなあ。絶対政治家になんかならないとは思っていたね。兄貴がオヤジの後を継いで出馬しようとしたら、家族全員で止めた(笑)。
周りには、生協の子供がいっぱいいてさ。「お父さんに普段お世話になってるから、言うこと聞かなきゃいけないよって親に言われた」ってのがぞろぞろ(笑)。
天童 ガキ大将だったんですね、人が周りにいっぱいいるのが好きだった(笑)?
松尾 そうかも(笑)。フリマなんて、毎日お祭りみたいなもんだよね。ストリートミュージシャン集めてライブしてもらったり。
天童 NPOを立ち上げるまでは。
松尾 大学出てコンピューター系の会社に入って。その後、食品包装資材メーカーに転職して。二十歳そこそこだったけど、電算室長とか社長室長とかやって。そこで経営のことを学んだんだけど、その会社がダメになっちゃった。そこで、自分の資本はなんだと思ったら、「頭だ」と。大学時代なんて、塾と家庭教師で社会人より給料がよかった(笑)。それで学習塾を立ち上げたんです。そんな中で、商業施設とかと知り合いになって、催事的なイベントとしてフリマをやろうかと。(取材・構成:塩塚夢/SANKEI EXPRESS)