ニュースカテゴリ:EX CONTENTS
トレンド
【にほんのものづくり物語】黒酢
更新
海に臨み整然と壷が並ぶ景色。これはスローフードの旗手とも言うべき「黒酢」が、南国の太陽の光を浴びて農作物のように造られていく「壷畑」=鹿児島県霧島市(提供写真) ≪伝統に培われた技を新しい発想に生かすと「ものづくり」の可能性が広がる≫
海に臨み整然と壷が並ぶ景色。これはスローフードの旗手とも言うべき「黒酢」が、南国の太陽の光を浴びて農作物のように造られていく「壷畑」。この独特の製法は世界でも類のないものといわれます。近年の健康志向の高まりとともに、自然の力を最大限に利用し製造される黒酢は、健康ブームを巻き起こし、全国的に知られるようになりました。
今回は伝統的な製法を守りつつ、黒酢の新たな可能性を求めてチャレンジを続ける、重久雅志さんを鹿児島県霧島市に訪ねました。
鹿児島県霧島市福山町は、「かめ壷仕込み」による黒酢の発祥の地。雄大な桜島を正面に、錦江湾の中心に位置し、200年以上、昔ながらの製造法で黒酢を造り続けています。
福山の黒酢の産業化は、江戸時代後期に始まります。当時、財政困窮の薩摩藩は財政再建策の一つとして、現在の宮崎県都城市山之内に寒天製造工場を設け、海外に寒天を輸出していました。その製造に欠かせなかったのが良質な「酢」でした。福山は平均気温18~20度という温暖な気候、姶良(あいら)カルデラ壁という地層からなる三方の丘から得られる豊かな水という自然環境に恵まれた土地。商業港があり、良質な米や仕込みに使う薩摩焼の壷も手に入りやすく、それまでみそやしょうゆと同様に家々で作られていた酢が、産業として発展していきました。
一般的な酢(黒酢)は、室内のタンクの中で3カ月程度で製造されますが、「かめ壷仕込み黒酢」は露天で1年以上もの長い年月をかけ静置・熟成発酵を行います。1日水に漬け込んだ玄米を蒸し器で蒸し、米麹(下麹)、蒸し玄米、地下水、米麹(老麹)の順に壷に仕込み、最後に口を紙で覆い蓋をして仕込み完了。1つのかめ壷の中で、「糖化→アルコール発酵→酢酸発酵」を行うという、世界的にも珍しい発酵法で黒酢へとその姿を変えていきます。仕込み時期は春と秋の年2回。日中太陽の日差しを浴びた壷は手で触るのも熱いくらい高温になり、昼と夜の温度差が発酵を促す一つの要因となっています。自然の力を借りて「杜氏(とうじ)」が手をかけて造る黒酢は、大量生産は難しいものの、ただ酸っぱいだけではなく、深みやコクなど独特の風味があります。
重久さんの「まるしげ」は1805年に創業した老舗の黒酢醸造場です。原料へのこだわりは「地下約100メートルから地下水」と「100%国産玄米を使用」。黒酢造りに適した黄麹を使い、なおかつ原料米は通常の規定の2倍近い量を使用しています。原料米が多いことで発酵の手間は倍以上かかりますが、より香り高く、まろやかで味わい深い旨(うま)みと豊富な栄養素を含んだ「純玄米黒酢」が生まれるのです。
手間ひまのかかる伝統的な手法を守りながら、製造過程で詳細なデータを蓄積してきたことで、現在ではより安定した品質管理が可能になってきたそうです。また、大学などの研究機関と共同で黒酢についての科学的な解明も進んでいます。熟成した黒酢に含まれる豊富なアミノ酸に着目し、化粧品への展開も始まりました。食品としてのクオリティーを高めるだけでなく、内側からも外側からも、美と健康を支える役割に期待が高まります。
重久さんは家業を継ぐ前、東京で人材派遣の仕事に就いていました。その頃のたくさんの業種、人との出会いが、伝統に新しい未来を拓(ひら)くヒントをもたらしてくれるといいます。
江戸時代の財政再建策から始まった「ものづくり」が、その地の豊かな自然と人の手によって育まれ、地域を支える産業として今に続くように、これからも異なる着眼から「ものづくり」の新たな伝統が生まれていくのかもしれません。(SANKEI EXPRESS)
<問い合わせ先>有限会社重久盛一酢醸造場(屋号:まるしげ)。〒899-4501 鹿児島県霧島市福山町福山2246の1 (TEL)0995・55・2441 (FAX)0995・55・2315 www.osuya.jp/