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今宵も、ずっこける練習を 本谷有希子

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今宵も、ずっこける練習を 本谷有希子

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街角で見かけた、ショーウインドー(本谷有希子さん撮影)  【溝への落とし物】

 「われわれがすでに手にしている原始的な人工知能は、極めて有用であることが明らかになっている。だが、完全な人工知能の開発は人類の終わりをもたらす可能性がある」

 先日、英理論物理学者のホーキング博士がBBCに向けて、こんなふうに発言したらしい。さらに博士は「ひとたび人類が人工知能を開発してしまえば、それは自立し、加速度的に自らを再設計していくだろう」とまで言ったらしい。つまり、機械によって人類が滅亡するぞ、と警鐘を鳴らしたのだ。

 この話を訊いたとき、実は、私の胸はこっそりと高鳴った。私は別に厭世(えんせい)家でも、退廃的な人間とも思わない。だけど、ロボットなんかにやられてたまるものかと思う一方で、機械に人間が滅ぼされるという結末は「ああ、そう来たか」と、質の高い名画を観たあとのような満足感がある。皮肉が効いていて、好きな結末だな、と私は思う。

 愚かな私に与えられる罰

 偶然だが、立て続けに「人類を根絶やしにするために、謎の種族がある日、淡々と侵略を始める」という映画も鑑賞した。その映画の中で、人間は次々と捕食されてしまうのだが、ここでもやはり私が肩入れしたのは、その新しい種族の「人は他の動物を食べているのに、なぜ他の生き物が人間を食べてはいけないのか」という純粋な疑問だった。小さい頃、私もずっと不思議でたまらなかったのだ。「人間って、なんでそんなにえばってる(偉そうな)の?」と。

 あれこれ思いを巡らせ、まず、はっきり意識したことは、人間の滅亡について、私はどうやら反対ではないらしいことである(もし子供がいたら、という議論はさておいて)。さらに、そうだとすれば一番痛快な方法でやっつけられたいと願っていることにも気づいた。

 愚かな私にはどんな罰がいいだろう。自分達が作った機械に…というのは、すごくいい。もし第三者が観ていたら、笑っちゃうだろうな、という下らなさがいい。もしそんな未来が訪れれば、私達はまるでバナナの皮を自分で床に置いて滑って転ぶ、喜劇王チャプリンみたいではないか!

 他には、地球上の資源の枯渇、大災害、温暖化や隕石(いんせき)衝突、核で自爆してしまう可能性、どれもあり得るだろう。しかし、その滅び方だと私のような人間は、避けようがなかった不運だと受け入れてしまったり、まるで一部の大企業や、どこかの国の偉い人が暴走したおかげで、と被害者面してしまいそうな気がする。

 携帯電話は危険

 人工知能が原因ならそんなふうには思わない。携帯電話が普及し始めた十年ほど前、私は「こんな便利なものは危険だ」と本能的に感じ取った記憶がある。しばらくその本能に従って時代の波に必死に逆らっていたが、ある日とうとう力尽き、いっそこのまま流されてみよう、と方向転換。一度便利さを知ったら戻れないとじゅうぶん分かっていながら、文明に身を委ねたのだ。だから今、その代償で悲劇が起こるといわれても驚かない。驚かないどころか、「やはりそうでしょう!」といわんばかりの納得感がある。私だけじゃない、みんな本能的に危険を感じ取った瞬間は必ずあったのではないだろうか。未開の地の部族と、不便さを知る機会すらなかった子供たち以外、ほとんどの人間に心当たりがあるのではないか。

 機械の暴走は、唯一、他の生き物に迷惑がかからないかもしれない点でも好きだ。その未来は、もしかしたら緑が生い茂る、他の生き物にとっての天国かもしれない。

 もちろん、私だってできれば滅びたくない。でも、もしその時が来てしまったときのために、盛大に自分の敷いたバナナの皮でずっこける練習をしておきたいと思う。そうして、これまで散々迷惑かけたおわびに、他の生き物におなかをかかえて笑ってもらうのだ。何しろ私は、地球上で最も喜劇王の素質を持った生き物なのだから。(劇作家、演出家、小説家 本谷有希子/SANKEI EXPRESS

 ■もとや・ゆきこ 劇作家、演出家、小説家。1979年、石川県出身。2000年、「劇団、本谷有希子」を旗揚げし、主宰として作・演出を手がける。07年、「遭難、」で鶴屋南北戯曲賞を受賞。小説家としては短編集「嵐のピクニック」で大江健三郎賞、最新刊「自分を好きになる方法」(講談社)で、第27回三島由紀夫賞を受賞。

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