SankeiBiz for mobile

【「日本の食」未来へつなぐ】(8-2) 石臼で挽く山椒 「体の中まで浄化」

ニュースカテゴリ:EX CONTENTSのトレンド

【「日本の食」未来へつなぐ】(8-2) 石臼で挽く山椒 「体の中まで浄化」

更新

種を取った山椒(さんしょう)の実から丁寧に枝をより分ける「かねいち」の辻了(さとる)さん。小さな枝が爪の間に入って痛いが、この一手間が鮮烈な色と香りを生み出すのだ=2014年2月11日、和歌山県海南市(塩塚夢撮影)  ≪和歌山 山村を守り豊かな生きる≫

 和歌山県海南市、高野山へつながる街道添いにたたずむ「山本勝之助商店(屋号『かねいち』)」。店頭に近づくだけで、山椒(さんしょう)のさわやかな香りがいっぱいに広がる。「体の中まで浄化されるような気持ちになりますね」

 “お取り寄せの達人”として知られる松田美智子さんは、気になる食材の生産現場に必ず足を運ぶという。「作り手の顔を見ると全然違いますから。私も年を重ね、単なる好奇心だけではなく、食を伝承しなくてはならないという使命感のようなものを感じるようになりました」

 そんな松田さんが一目惚れしたのが、かねいちの山椒だった。大粒のぶどう山椒を、昔ながらの石臼で挽き、粉にする。「中国などにも山椒はありますが、日本のものはきれいな緑色と、鮮烈な香りがすばらしいですね。中でも、ここの山椒は飛び抜けています」

 かねいちは1880(明治13)年の創業以来、山椒や棕櫚(しゅろ)など、紀州の山産物を取り扱ってきた。4代目の土田高史さん(53)は、「本当は先代で終わりになるかもしれなかったんです」と明かす。先代の三女と結婚した土田さん。大手家電メーカー「シャープ」に勤務していたが、9年前、先代が突然亡くなったことで、会社を辞めてかねいちを継ぐ決心をした。

 「決めては、この山椒のすごさですね。誰かが継がないと、なくなってしまうわけですから」。当時は原料の卸が中心で、粉に加工した山椒は地元で消費するだけだった。「地元だけでは消費量も限られている。外に発信しなければ生き残っていけない」

 書道の腕前をいかして、手書きのはがきとともに全国約2000店の鰻料理店などに小分けのサンプルを発送。認知度が徐々に高まり、「リピーターも定着して、ここ2、3年はいろんなところで『山椒って、こんなにすごいんだ』と思ってもらえるようになってきた。収入も個人商店としては十分なほど」という。

 石臼を回すのは、辻了(さとる)さん(70)。山椒を乾燥させ、種と枝を手でよりわけ、石臼で挽く。「小さい枝が爪の間に入って痛いんですわ。でも、こうやって丁寧により分ければ、ええ色と匂いになるねん」

 「肩も腰もパンパンになる」と話す通り根気のいる作業だが、15歳でかねいちに入って以来、55年間山椒に向かい続けてきた。「自分が挽いた山椒を人にあげたら、『この山椒、めっちゃええわ。辻さんってすごいなあ』って言ってくれる。それがうれしいんですな」(取材・構成:塩塚夢、写真も/SANKEI EXPRESS

ランキング