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【安倍政権考】民主党が見放された理由

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【安倍政権考】民主党が見放された理由

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衆院選の敗北から一夜明けた2012年12月17日、首相官邸で記者団の質問に答える藤村修官房長官。藤村氏自身も落選し、選挙の結果、民主党は政権を転落した=東京都千代田区(酒巻俊介撮影)  2014年12月の衆院選で民主党は、党勢回復とはいかなかった。逆に、大幅な議席減が予想された維新の党は1議席減にとどまった。これは、有権者の間に「非自民」の受け皿を求める声が確実にあり、その受け皿に維新がかろうじてなり得たことを意味している。なぜ、民主党はかくも有権者から見放されたのか。

 維新と五十歩百歩

 「要は民主党はダメだということですよ。民主党には(労組の有力組合員などの)支持者以外は票を入れないんだなと思いました」

 こう語るのはかつて民主党衆院議員で、現在は維新の衆院議員だ。根拠として、東京の事例を持ち出す。

 東京で民主党は25選挙区のうち19選挙区で候補者を立てた。維新が擁立したのは7選挙区。これだけの差がありながら、比例代表東京ブロックで獲得した議席は、民主も維新も同じ3だった。比例票にして民主が約94万だったのに対し、維新は約82万票。維新の2倍以上も候補者を立てておきながら、比例票の掘り起こしは維新と五十歩百歩だったわけだ。

 ガバナンス欠如

 ここに一冊の本がある。野田佳彦政権の官房長官を務めた藤村修氏(65)が14年11月に出版したインタビュー形式の回想録『民主党を見つめ直す』(毎日新聞社)だ。この本からは、民主党が信頼を回復できない理由が読み取れる。それはガバナンス(党内統治)の欠如に尽きる。

 藤村氏は、鳩山由紀夫政権下での小沢一郎幹事長(当時)の国会運営について「対決姿勢はものすごく強かったです。(中略)僕も途中で付いて行けなくなって、委員長を辞めました。(中略)ちょっとむちゃくちゃであったと感じました」と批判している。

 藤村氏が衆院厚生労働委員長を辞任したのは10年5月のことだった。回想録によると、山岡賢次国対委員長(当時)は労働者派遣法改正案について「一日で、趣旨説明、質疑、採決まで行ってくれ」と指示した。藤村氏は「委員長としてそういう国会の運営はしません」と拒否した。山岡氏はこう“命令”した。

 「病気になってくれ」

 結局、藤村氏は「体調不良」を理由に委員長の辞表を提出したという。

 小沢氏らが12年7月、消費税増税をめぐり民主党を集団離党したことについては「カリスマリーダーの、自らの主導権がなくなりここにいてもしようがないという政治的思惑としか思えません」と率直に語っている。このとき藤村氏は官房長官。小沢氏の言動を苦々しく思っていたのは想像に難くない。

 もっとも、ガバナンス欠如の責任を小沢氏一人に押し付けるわけにはいかない。12年1月に野田首相(当時)は内閣改造を行った。このとき退任した平岡秀夫法相(当時)についてこう語っている。

 「参議院の委員会や、衆議院でもそうだったでしょうか、ちょっと持論を展開し、政府の立場で言うべきではない発言が幾つかあり、そのたびに注意したりしていましたが、なかなか直らないというのもありました」

 議論なかった日本の方向性

 藤村氏が下した結論は「何で(民主党に)集まったのかというと、『政権交代』の一言です。(中略)目指す日本社会の方向性についてしっかりと議論していなかったということです」。

 ちなみに、衆院選の比例の得票は、民主党が978万票で、維新は約838万票。両党の得票を合わせると1816万票になる。これに対し、自民党は1766万票だった。自民党も実のところは「安泰」とはいえなかったのだ。

 自民党幹部が「浮かれている場合じゃない」というのは至極当然のことだろう。(坂井広志/SANKEI EXPRESS

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