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【逍遥の児】安政元年創業の染め物店
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徳川家康はタカ狩りを好んだ。江戸から猟場の東金(房総半島東部)に行く途中の船橋に宿所を築造した。宿所は「船橋御殿」と呼ばれた。
師走の午後。明るい冬の陽光。JR船橋駅から飲食街を抜ける。静かな住宅地。狭い路地。迷路のようだ。ゆるゆると歩いていく。ようやく船橋御殿の跡地を見つけた。豪壮な屋敷はすでにない。小さな東照宮が建つだけだ。
さらに進む。めざす染め物店「つるや伊藤」に着いた。風情のある店構え。「創業安政元年」と染め抜いたのれんが誇らしげに掲げられている。幕末の1854年から営業を始め、日本橋の問屋などに染め物を出荷してきた。
5代目当主の伊藤吉之助さん(71)と会った。背筋をしゃんと伸ばし、かくしゃくとしている。
「はい。江戸時代からずっとこの地を動かず、店を続けております」
その伝統もあってか、古くから船橋に住んでいるお年寄りは、今でも「御殿のつるや」と呼ぶそうだ。
店には昭和40年代初頭まで工房があった。敷地内の土中に10個ほど瓶が埋まっていた。染料が入っており、職人たちが毎日、かき混ぜていたそうだ。現在は外注している。
つるや伊藤は多彩な業務を展開している。スポーツ強豪校・市立船橋高校の校旗も制作した。
「ベテラン職人が高価な本金糸を使って、丹精込めて仕上げました。きちっと仕事をして納める。そうしなければ、旗が泣きます。おかげさまで評判は上々です。『日本一の校旗』ともいわれています」
市立船橋高校の大応援団旗も作った。春のセンバツ大会で甲子園球場にひるがえったこともある。佐原(千葉県)の夏祭りに登場する山車の天幕を約200年ぶりに復元・新調した。さらにホールの重厚な緞帳(どんちょう)から、消防団のはんてんまで幅広く手掛ける。
「それぞれの分野に、いい腕の職人がいる。彼らの苦労、思いに報いたい」
最近、業界には、安価な外国産の製品が出回るようになった。
「(外国産は)底が浅い。私たちは、日本の伝統、染め物文化をしっかり守っていきます」(塩塚保/SANKEI EXPRESS)