ニュースカテゴリ:EX CONTENTS
トレンド
【「日本の食」未来へつなぐ】(8-6) 「神様の作った海水」が生み出す塩
更新
仕上げに塩をかき混ぜて水分を飛ばす百木智恵子さん(右)と次男の良太さん(中央)。母から息子へと、「とっておきの塩」が受け継がれていく=2014年12月20日、三重県伊勢市(塩塚夢撮影) ≪三重 こだわりの薪で煮詰める≫
日々の食卓を支える調味料。その基本ともいえるのが塩だ。松田美智子さんが「とっておきの塩」と推すのが、三重県伊勢市で作られている「岩戸の塩」。旅館の女将さんが一人で立ち上げ、家族や仲間の手を借りながら作り続けてきた。松田さんとともに食材の作り手をたどる旅は、和歌山県から三重県へと進んだ。
夫婦岩で有名な伊勢・二見浦。海を目の前に望む旅館「岩戸館」の敷地内には、塩の工房がある。
扉を開けると、もうもうと水蒸気が立ちこめる。三段の登り窯で海水を煮詰め、水分を飛ばして塩にする。燃料は熱がまんべんなく伝わることから廃材を使った薪にこだわる。薪の様子を見守るのは女将(おかみ)の百木(ももき)智恵子さん(70)、最上部の窯で塩をかき混ぜるのは次男の良太さん(34)だ。
「作り方はシンプル。海水から水分を抜くだけです。海水のバランスはなんにも変えない。人間の体にとってよいものを、神様がきちんと作ってくれていますから」と良太さんが言う通り、その成分は海水の含有量比とほぼ同じ。他の塩やにがり、固結防止のための添加物は一切使用していない。「とてもうま味が強いお塩。塩分は強すぎないけれど、ビシッと味を決めてくれる」と松田さんも高く評価する。
ミネラルが豊富で舌にも体にも優しいことから全国にファンを持つ岩戸の塩は、家族が体を壊したことに悩んでいた智恵子さんが「体のバランスを整えるため」と二見の海水をくみ上げて作り始めた。知人に配っていたところ、評判が評判を呼び、塩の専売制が廃止された1997年から正式に販売が開始された。
「塩を作って売りたいなんて人は当時いなかったから。役場にも聞いてみたけれど、前例は明治の初めだって(笑)。でも、担当の人が『だったら前例を作りましょう』って言ってくれてね。八方ふさがりでも、上と下は空いてるもんやね」
最初はブロックを組んで鍋で煮詰めていた塩だが、徐々に地元の仲間が海水のくみ上げや薪集めを手伝ってくれるようになり、今では三段の登り窯になった。「誰か思いがある人に引き継いでもらわないと」と智恵子さんが思っていたところ、手を上げたのが良太さんだった。
良太さんはもともとフレンチのシェフ。「料理人だと朝から晩まで調理場の中でしょう。仕事場にいながら子供の成長を見守れるような暮らしをしたかった。地元も好きでしたしね。何より、『いいものを作ろう』というおふくろの思いを継ぎたかった。おふくろが『金をもうけよう』と思って塩を作っていたら、後を継ごうとは考えなかったでしょうけどね」
とはいえ、簡単な仕事ではない。1日最低でも10時間は工房に立ち、窯の様子を見守る。温度や湿度、海水の濃度によって微妙に火入れの加減も変えなければならない。仕上げの段階では、2~3時間、数十キロの塩をかき混ぜ続ける。
「まんべんなく火を通すには、やっぱりこうしないといけない。均一に火が通らないと、だまにもなりますから。火加減も強すぎると塩が焼けてしまう。薪の一本一本をムダにしないように、考えながら作る。マニュアルのない仕事です。確かに大変やけど、命に関わる仕事ですから。いい加減では、塩は作れない」と良太さん。
2歳の娘も良太さんの作る塩が大好きという。
「熱を出したときに『シオ、シオ』って言うんです。なんやろうと思って塩おにぎりを作ってやっても食べない。じゃあ、と塩をそのまま出したらなめた。そしたらケロリと熱が引いた。子供は本能的に自分の体に必要なものを分かっているんですね。おままごとでも塩をふるマネをしているんですよ」と顔をほころばせる。
今は良太さんに塩作りを譲ったが、約20年間窯を見守り続けた智恵子さんは、薪の火で顔を赤く照らされながら言う。「薪やから、続けてこれたんちゃうかな。薪の火を見てると、いろんなこと考えるよね。昔のこと思い出したり、どんな人のもとにこの塩が届くんやろう、とかね。薪は体も、心もあっためてくれる。この火を見ていると、楽しいよ。他にはなんもいらん」(取材・構成:塩塚夢、写真も/SANKEI EXPRESS)
■岩戸の塩 三重県伊勢市二見町茶屋566の9 (電)0596・43・2122 電話、ファクス、インターネットで注文可。