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【イスラム国殺害脅迫】決死の覚悟 湯川さん拘束引き金? 殺害警告の後藤健二さん

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【イスラム国殺害脅迫】決死の覚悟 湯川さん拘束引き金? 殺害警告の後藤健二さん

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シリア北部アレッポで取材活動中の後藤健二さん(インデペンデント・プレス提供)  イスラム教スンニ派過激組織「イスラム国」の人質となっているフリージャーナリスト、後藤健二さん(47)は昨年10月22日、「米軍の空爆で被害を受けた地域に向かう」と話し、その3日後に消息を絶ったことが21日、外国人ジャーナリストへの取材で分かった。後藤さんの足取りや発言を追うと、決死の覚悟でイスラム国行きを決めた様子が伝わってくる。

 「自己責任」

 後藤さんの様子を証言したのは、3年前からイスラム国の支配地域などで取材を続けている外国人ジャーナリスト。産経新聞の取材に「昨年10月22日にシリアの街、バブ・アルサラマにある(シリア反体制派の)イスラム戦線の事務所でケンジに短時間だが初めて会った。『米軍の空爆で被害を受けた地域に向かう』と話していた。彼を迎えに来た仲介者と事務所から出かけていった」と話した。

 後藤さんと親交があるというイラク人コーディネーターの男性によると、後藤さんはその後、10月24日にシリア反体制派が掌握しているシリア北部の村に入り、翌25日にイスラム国の支配地域へ向かった。出発直前に残したビデオメッセージで「自分の責任でイスラム国支配地域に行く」などと話していた。この日を最後に消息不明となった。

 11月下旬になって日本ユニセフ協会関係者に後藤さんの親族から「予定通り帰国しない」と電話があったという。決死の覚悟で危険地域に向かった後藤さん。日本ユニセフ協会広報室長の中井裕真(ひろまさ)さん(49)は、ともに人質となった湯川遥菜(はるな)さん(42)が昨年8月に拘束されたことに「責任を感じていたのかもしれない」と話す。

 後藤さんと湯川さんは昨年4月、シリアで知り合った。その後に後藤さんは湯川さんから仕事に関する相談を受け、アドバイスをしたという。湯川さんは民間軍事会社と称する「ピーエムシー」を経営し、シリアで仕事をしようとしていた。しかし、後藤さんのアドバイスのかいなく、湯川さんは拘束された。

 子供に焦点

 一方、後藤さんは東日本大震災の被災地で、アフガニスタンで、中央アフリカで子供に焦点を当てた取材を続けていたという。

 10年来の知人という愛知県豊田市の高校教諭、伊藤和正さん(43)は昨年10月22日、後藤さんからメールを受け取った。「29日午前中まで出張」。10月30日に後藤さんの中学生向けの講演会を予定していたが、実現されなかった。

 ≪何度もシリア入り 潜入ルポ計画≫

 後藤健二さんは、シリアの人々の生活を自分の目で見て、伝えたいという強い思いを抱いて何度もシリア入りしていた。その姿は多くの外国人ジャーナリストに知られていた。

 「イスラム国のメンバーになって、イスラム国のことを報じるつもりだと話していた」

 シリア北部のアレッポで後藤さんと何度か会ったというオーストラリア人ビデオジャーナリスト、ジェイク・シムキンさんは、後藤さんがイスラム国の潜入ルポを計画していたと語る。計画は、後藤さんがアレッポ近くに滞在しながら作ったというビデオの中で明らかにされていたという。

 シムキンさんは昨年11月下旬にビデオを見た。「英語と日本語で作られたビデオの中で、ケンジは自分の行動はもちろん危険だが、何が起こっても日本政府に責任はなく、全責任は自分にあると言っていた」

 「彼は真実を伝えたがっていた」とシムキンさんは後藤さんの思いを代弁するが、後藤さんのことを慕っていたというシリア反体制派「自由シリア軍」の関係者でさえ、「ケンジがイスラム国に入ると言ったから驚いていた」と語る。

 別の外国人ジャーナリストは昨年夏にアレッポで、後藤さんがシリア人記者たちに“ミニ講座”を開き、いろいろ教えていたという話を聞いた。「多くのシリア人が彼に好意を持っていた」と振り返る。

 シムキンさんは「ケンジはシリアを愛していた。アレッポに出入りしていた中では最高の日本人ジャーナリストだ」と語り、友人の無事を祈った。(SANKEI EXPRESS

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