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【溝への落とし物】「わだかり様」の話 本谷有希子

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【溝への落とし物】「わだかり様」の話 本谷有希子

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生まれて初めて彫った、未(ひつじ)年の芋判(本谷有希子さん撮影)  大抵の違和感は、しばらくすると忘れてしまうことがほとんどだけれど、中には粘り強く一週間経(た)っても一カ月経っても消えないどころか、ますます心の中でわだかまっている場合がある。私はそれを「わだかり様」と呼んでいる。

 話題の井戸も尽き

 こないだ知り合いと食事をしたときにも「わだかり様」をあやかった。

 デザートが運ばれて来る頃、彼女が突然「今から他の友達をここに呼びたい」と言い出したのだ。私とは面識のない相手だけれど、近くまで来ているという。やがて、私たちのテーブルに割り込むように座り込んだ相手と合流したものの、驚くほど話がかみあわない。そのことに相手も気づいたらしく、私たちはお互いに必死で共通の話題を弄(まさぐ)ったが、せっかく掘り当てた井戸もすぐに水が枯れてしまう。収束していくその場をどうすることもできないまま、ただただこの場が終わることを願っていると、突然一人がお店の人に頼んで「写真を撮ってもらおう」と言い出した。

 何もこんな時に写真なんか撮らなくてもと思ったが、気づいたときにはカメラが向けられ、思わずつられて、その場にあったグラスを手に取った。あとから「みんな、いい感じに映ってるよ」とその携帯電話が回ってきたので、のぞき込むと、私たちがまるで心から打ち解けあった親友であるかのように笑っている。幸せそうで、楽しそうで、とてもこの場を持て余しているなんて信じられないではないか。

 写真が吐く嘘

 写真は詐欺師のように嘘を吐くのだ。その嘘がまんまと出来上がる瞬間を、この目ではっきりと見てしまった私は、早々にその場を退席せずにはいられなかった。

 けれど、なぜ嘘を吐くのがいけないのか、そこが自分の中でもまだうまく説明できない。写真を映す、その場より楽しく見える。その、何が一体嫌なのだろう。そんなことで誰かに迷惑がかかるだろうか。誰だって自己演出くらいしている、だからこれは私が納得しなければならない話なんだなと考えると、頭に網をかけられたように、思考が止まってしまう。その網を振り払ってくれるのが、「わだかり様」だ。「わだかり様」は米粒よりも小さいけれど厳しくて、嫌な理由を考え続けろ、と仰るのだ。

 そうだ、写真を載せる行為がすっかり当たり前になってしまって、疑問に感じもしないけれど、自分の持っているものをわざわざ人に見せるのは、「ひけらかし」なのだ。共有しているつもりで、いつのまにか誰もがひけらかしている。教養も交友関係も楽しい生活も、自慢をしては下品である。だがしかし、「持っていないと見せつけること」、自虐もやっぱり同じひけらかしだから、油断ならない。

 厄介な「堂々めぐり」

 「わだかり様」がいると、心の中がすっきりしないけれど、おかげでするめをしゃぶるように、ああでもないこうでもない、と腑に落ちない理由を考えていることができる。腑に落ちないことには、それなりの理由があるので無理に解消しないほうがいい。

 昨日も私は小さな「わだかり様」を見つけて、「待ってました!」とばかりに喜んだ。しかし、よく見るとそいつは「わだかり様」に似た、ただの「堂々めぐり様」だったので慌てて捨てた。あれにつかまると、厄介なので、注意しなければならない。(劇作家、演出家、小説家 本谷有希子/SANKEI EXPRESS

 ■もとや・ゆきこ 劇作家、演出家、小説家。1979年、石川県出身。2000年、「劇団、本谷有希子」を旗揚げし、主宰として作・演出を手がける。07年、「遭難、」で鶴屋南北戯曲賞を受賞。小説家としては短編集「嵐のピクニック」で大江健三郎賞、最新刊「自分を好きになる方法」(講談社)で、第27回三島由紀夫賞を受賞。

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