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ハンセン病 正しく理解し次代に伝える 「グローバル・アピール」に合わせ啓発キャンペーン
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1月25日の「世界ハンセン病の日」に都内で行われた街頭キャンペーンで、ボードに応援メッセージを書き込む若者=2015年(日本財団撮影)
「今日は世界ハンセン病の日です。ハンセン病の差別をなくそう!」
1月25日の「世界ハンセン病の日」に、渋谷や秋葉原、池袋など都内6カ所でハンセン病の正しい理解を呼びかける街頭キャンペーンが行われた。このキャンペーンは、ハンセン病に対するスティグマ(社会的烙印)と差別撤廃を訴える「グローバル・アピール」に合わせて実施された。
日本財団は2006年から毎年、この日にインドやブラジル、インドネシアなど世界各国でグローバル・アピールを発表してきた。10回目にあたる今年は、日本で初めて開催。多くの人にハンセン病について知り、考える機会を提供しようと、啓発キャンペーンを展開している。
オープニングセレモニーを行った秋葉原の会場には、ハンセン病支援団体「IDEAジャパン」理事長の森元美代治さんやハンセン病の語り部として子供たちに命の大切さを教える平沢保治さん、首相夫人の安倍昭恵さんが駆けつけ、休日のにぎわう秋葉原の電気街でハンセン病の理解を呼びかけた。昭恵さんは挨拶で、瀬戸内海に浮かぶ大島にある国立ハンセン病療養所「大島青松園」を訪問したときのエピソードとして、「結婚しても子供を持つことは許されなかった。島から出ることさえできなかった。帰りたい故郷に帰れなかった。家族にも会えなかったということを、園内を案内してくれた地元の小学生が説明してくれました」と紹介した。
ハンセン病は旧約聖書や古代エジプトの古文書にも記述があったといわれるほど古くから人々を苦しめてきた病気である。かつては特効薬がなく、病気が進行すると手足や顔に障害が残った。患者は家族から捨てられ、故郷を追われた歴史がある。1980年代に治療法が開発され、治る病気となったが、いまも回復者のなかには本名を名乗れなかったり、家族のもとに帰ることを許されない人がいたりするのが現実だ。
ハンセン病に対する偏見と差別の問題は日本だけではない。インドでもハンセン病の患者や家族は差別の対象になり、教育、就職、結婚の機会が奪われている。グローバル・アピールのために来日したインドのハンセン病回復者団体APALのグントレッディ・ベヌゴパール副会長は「私は中流階級の出身でした。ハンセン病にかかり、妹の婚約が破談になりました。私は家を出ました」と語った。
ハンセン病に対する偏見と差別を解消するためには、正しい知識と理解が必要だ。キャンペーンの一つとして昨年12月に開設した応援メッセージ映像サイト「THINK NOW ハンセン病」には1000人以上のコメントが集まっている。その一人にタレントのマツコ・デラックスさんも。マツコさんは「恐怖心から、人間は特定の対象を攻撃し、反感を持つ。差別の根っこは恐怖心」と話し、「ハンセン病の問題がなんとなく収まったからといってうやむやにしてはならない。改めてハンセン病が差別の対象となった背景、悲惨な状況が生まれ、被害にあった人たちがいることを知ることが大切」と訴えた。
また、アナウンサーの松尾翠さんは「まず私たち大人が正しい情報をきちんと理解すること。そして、それを次の世代、未来を担う子供たちに正しい形で伝えていくこと」と、正しい理解と教育の大切さを指摘している。
ハンセン病は医学的には解決に向かいつつある。しかし、偏見と差別は根強く、過去ではなく現在の問題だ。街頭キャンペーンでは、ハンセン病を知らない若者が「ハンセン病って何ですか」と話を聞きに来た。回復者の写真や言葉を紹介しながら説明すると、「協力します!」と快く応じてくれた。
「世界ハンセン病の日」にSANKEI EXPRESSで連載中の漫画「ひなちゃんの日常」で、ハンセン病の問題が紹介された。ひなちゃんの祖父が「よかった、ひなちゃんに伝えられて」と、ハンセン病の問題を説明する場面があった。そして「始まりは一人から」と結ばれていた。一人また一人と伝えていくことが何よりも大切なのだ。
街頭キャンペーンで、語り部の平沢さんは、「私の変な曲がった手はハンセン病として生きてきた74年間の勲章です。どんなにつらくても、どんなに苦しくても、それを乗り越えると、そこに喜びがわいてくる」と、ハンセン病との闘いを振り返り、「私はあと12年で100歳です。100歳まで語り部を続けたいと思います」と、次代を担う子供たちに語り継いでいく決意を語った。(日本財団 コミュニケーション部 福田英夫/SANKEI EXPRESS)