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菅官房長官、沖縄入り 西普天間住宅地区返還式に出席 「普天間の固定化回避」一点に集中
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米軍から返還された西普天間住宅地区の式典に参加した菅義偉(すが・よしひで)官房長官(左)と沖縄県の翁長雄志(おなが・たけし)知事=2015年4月4日午後、沖縄県宜野湾市(共同) 菅義偉(すが・よしひで)官房長官(66)は4日、沖縄県の米軍普天間飛行場(宜野湾(ぎのわん)市)の名護市辺野古移設への県民の理解を得ることを目指し、沖縄入りした。米軍キャンプ瑞慶覧の西普天間住宅地区(宜野湾市)の返還式に出席し、県内の基地負担軽減をアピール。5日には政府の移設方針に反対する翁長雄志(おなが・たけし)知事(64)との初会談に臨む。
菅氏は4日の返還式であいさつし「安倍晋三政権は沖縄の基地負担軽減策でできることは全てやる。目に見える形で実現していく」と強調。「忘れてはならないのは周囲を住宅や学校に囲まれた普天間飛行場の一日も早い危険除去だ」とも述べ、辺野古移設の必要性を訴えた。
返還式には翁長氏や宜野湾市の佐喜真淳(さきま・あつし)市長(50)らも出席。翁長氏は「万感胸に迫る思いがある」と述べるにとどめた。佐喜真氏は米軍基地が経済活動の阻害要因になっていると主張し「西普天間の返還は大変喜ばしい」と話した。
3月31日に返還された西普天間住宅地区は、2013年2月の安倍晋三首相(60)とバラク・オバマ米大統領(53)の首脳会談を受け、両政府が合意した米軍嘉手納基地(嘉手納町など)以南にある6つの米軍施設・区域の返還計画で初の大規模返還。返還面積は約50ヘクタールで、当面は国が占有し、建物解体や土壌汚染調査などを行い、順調に進めば2、3年後に地主に引き渡される。地元では跡地利用への期待感が高い。がん治療施設と琉球大学医学部・付属病院で構成する国際医療拠点や人材育成施設を設け、住宅や公園も整備する計画が検討されている。
西普天間住宅地区を含めた6つの施設・区域が返還されれば、返還面積は約1000ヘクタール(東京ドーム約220個分)となる。人口が集中する県南部での大規模返還により沖縄振興につながるとされる。
沖縄基地負担軽減担当相を兼ねる菅氏は、この日の返還式を「目に見える負担軽減と沖縄振興を進める」という政権の姿勢を鮮明にできる機会と捉え、昨年11月以来となる沖縄訪問を実行した。
≪「普天間の固定化回避」一点に集中≫
菅義偉(すが・よしひで)官房長官が、米軍普天間飛行場の名護市辺野古移設に反対する翁長雄志(おなが・たけし)知事との初会談の場に沖縄を選んだのは、不退転の決意を示す意味が込められている。1996年の普天間返還合意から19年がたったが、移設は実現していない。「粛々と移設工事を進める」と繰り返す菅氏には、ここでケリをつけなければ、普天間飛行場の固定化が避けられないという危機感が募る。
4日午後3時すぎ、西普天間住宅地区の返還式会場。菅氏と翁長氏は、そろって壇上に向かった。壇上の席も隣同士。だが、2人は目を合わせようとせず、それぞれ挨拶する相手の姿をちらりと見るだけだった。
返還式の終わり際、言葉をかけたのは菅氏だった。
「お互い(出身校は)法政大学ですね」
翁長氏は「そうですね」と応じたが、会話はそれだけだった。記者会見などを通じ、激しく牽制(けんせい)し合ってきただけに、5日の初会談を前にしてもぎこちなさは拭えなかった。
返還式後、翁長氏は記者団に「(普天間飛行場は)銃剣とブルドーザーで強制接収された場所だ」と述べ、県内に機能を移す辺野古移設は容認できないとの姿勢を改めて強調。菅氏も「1回会っただけで解決するとは思っていない」としており、初会談は平行線をたどりそうだ。
ただ、菅氏にとってそれは覚悟の上だった。実施設計前の事前協議など翁長氏の理解が必要になる局面が待ち受けており、時間をかけて対立関係を解きほぐす-。そんな思いがにじむ。
「今まで自民党は沖縄に寄り添うといって、いつも妥協してきた」
菅氏は最近、周囲にこう語るようになった。
歴代の自民党政権は、普天間返還の合意にこぎ着けた橋本龍太郎元首相や、沖縄サミットを実現した小渕恵三元首相、野中広務(ひろむ)元幹事長らが沖縄問題の解決に尽力してきた。
菅氏が「政治の師」と仰ぐ梶山静六元官房長官もその一人で、そうした努力で辺野古移設はようやくここまできた。だが、ここから先、「妥協」ではない何かが不可欠だと菅氏は見定めているようだ。「何か」の一つが基地負担軽減で、初対面の舞台に西普天間住宅地区を選んだのもそのためだった。(SANKEI EXPRESS)