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キングコングと水着美女の「亡霊」 長塚圭史

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キングコングと水着美女の「亡霊」 長塚圭史

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沈みゆく太陽は別離の思いを鈍らせます(長塚圭史さん撮影)  【続・灰色の記憶覚書(メモ)】

 キングコングと巨大タコが水着美女を取り合って闘う光景の描かれた赤色のアロハシャツが大変気に入っているのだけれど、多分もう一生袖を通す事はないのではなかろうか。ということは捨ててしまいましょう、でよいのだろうけれど、果たして5年以上、衣替えの季節になっては、着ることも捨てることもできずに頭を痛くしている。

 何を隠そうこのアロハは、2000年に上演した舞台の衣装として使用したものである。チンピラ役を演じるにあたって、ばかげたアロハがいいねえなんて話していたものの、私物で具合の良いものはなく、仕方なく公演間近に下北沢の街を練り歩いて、ちょっと高いけれど、公演終わったらそのまま私物で着るわと自腹を切って購入したのです。

 つまりこうして捨てられないというのは、その柄が気に入っているということだけにとどまらず、思い出深い品ゆえに、ということになるのでしょう。

 思い出に埋め尽くされた衣類棚

 確かにこのキングコングと巨大タコの暴れっぷりや、水着美女のセクシーさを目にすると、15年前のさまざまがまるで昨日のことのように瞼に浮かぶ。

 けれどそんな思い出に浸ってばかりでは実際問題片付かない。そもそも劇の思い出の品と称して、数えるのもうんざりするほどにたまりにたまった公演を記念するTシャツ類も、このまま堆積し続けたら、ちょっとした地層が出来上がってしまう。もちろんこれらTシャツも作品名や公演日時、また作品を想起させるアップリケなどがプリントされていて、あんなこと、こんなことあったよね、と十分思い出に浸れる懐かしいうれしいTシャツたちなのである。だがこのままでは衣類棚のほとんどが思い出で埋め尽くされてしまう。

 幸いわれわれ人間には、覚えておくという機能が備わっている。それぞれじっくり眺めて、くんくん嗅いで、はい、どうもありがとうございました、とオサラバしたところで、すっかり忘れ去ってしまうということにはならないのだ。むしろもっと高尚な、具体的なモノに頼らず、この身一つで思い出を引き出せる高みに達するのだ、と自らに言い聞かせ、廃棄せねばなるまい。

 が、ここで大きな問題になるのは、これは捨てるけれどこれは捨てないという選別である。これはもう何もなくともハッキリと思い出せるほどに濃厚な作品であるから、ハイ捨てましょう、なんていう単純では片付かない。濃厚ゆえに愛着も深くなって手放せない気持ちが生じるこの矛盾。別にこの芝居が嫌いだったわけじゃないんだと言い訳しながら、ゴミ袋にほうり込む背信の心持ちはどうすればよいのだ。

 袋詰めまで追い詰めたモノモノ

 明るい時間から始めたはずが、いつのまにか夕暮れてしまった。夜の衣替えは危険を孕む。昼間であれば見限れるはずのものが、夜にはどうしてもまた手放せなくなってしまうことがあるからだ。単純に夜の闇が寂しさを募らせるからなのか、夜露に湿らされてセンチになるのかわからない。

 いずれにしても、私の場合は掃除や整理は明るいうちにやってしまわないと立ち行かない。とりあえず捨ててしまえと思うものはゴミ袋ならぬ紙袋にきれいに畳んで詰めて、キングコング巨大タコ水着美女のアロハも一緒に詰めて、とっぷり暮れてしまうその前に、ひょいとそこらに置いて、明日また考えればいいや。そう言ってそそくさと衣類棚から退散してしまった。

 そうして、そのまま、置き去りのままである。捨ててしまおうかという持ち主の意思が袋詰めまでは追い詰めておいて、やっぱりどうしたものかと放置。これでは袋詰めされた衣類たちだって、踏ん切りがつかない。もしかしたら思い直して袖を通してもらえるのかもしれないと、淡い期待を抱いているのかもわからない。キングコングや巨大タコも争うのやめて、水着美女と一緒に固唾をのんで、袋の中、私の動向を探っているのかもわからない。だって俺たち一緒に舞台にまで上がったじゃないかよ旦那、捨てるなんてわけないよね。

 かさり、と紙袋が音を立てたような気がした。

 このように無機質のモノモノに気分のようなものが宿ってしまうのは、モノモノに託したわれわれの思い出がやたらと染み付いてしまうからで、人間はやっぱり、こうしたモノばかりに頼るのではなく、脳に限らず、目玉だったり、指だったり、肉体そのものに記憶を刻み込まないといけません。でないとモノなく思い出に浸ることのできない、ちんけで不自由な無機的人間に陥りかねないではないか。それでは人形、モノである。

 そうなると誰かの思い出の装置にはなれても、私自身からは思い返せぬという自己喪失。ああ、だからまあ要するに、やっぱり最初に戻って、人間機能を取り戻す覚悟を決め、どうにかこうにか捨てるべきなのだ。というようなことを決意したのかしないのか、紙袋はまだそこに置かれたまま、今日も太陽が沈みかけている。(演出家 長塚圭史/SANKEI EXPRESS

 ■ながつか・けいし 1975年5月9日、東京生まれ。96年、演劇プロデュースユニット「阿佐ヶ谷スパイダース」を結成。ロンドン留学を経て、ソロプロジェクト「葛河思潮社」を立ち上げた。4月15日スタートの日本テレビ水曜ドラマ『Dr.倫太郎』に主人公のライバル的存在である教授、宮川貴博役でレギュラー出演。

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