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船出する「蛙昇天」、青春ふたたび「スパイダース」 長塚圭史
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雲の向こうに青空が抜ける空は幸運を呼ぶ空=2015年2月20日(長塚圭史さん撮影)
昨年の6月から仙台の地で稽古を始め、先月の16日に幕を開けた『蛙(かえる)昇天』が、週末の新潟公演でもって終了する。のだけれど、私としては作っては消え、また作っては消えてしまう現在の主要な演劇の様(さま)に一石を投ずるべく、出演者たちやスタッフに、この作品の継続を強く訴えている。条件が全てそろわなくとも、不足している部分をどう埋めるかということを考えながらやれば、どんな空間でもやれないことはない。もちろんセットを持ち込めれば幸いだが、どうしてもそれがかなわないときに果たしてやすやすと諦めるのかどうなのかということも含め、よくよく考えて進めていきたい。
そもそも2回の休憩込みで3時間15分という大作である。これを劇団でもないのにレパートリーとして各地へ持ち歩こうというのはなかなかのことであろうが、何とか次の一歩を踏み出さないことには全て夢語りで終わってしまう。
新潟を終えておいしいお酒をのんで解散する方がうんと楽なのは重々承知の上で、新潟の千秋楽を新たなる航海への旅立ちとしたい。
新たな旅立ちといえば、この公演にはちょっとした副産物のようなものがあって、それはこの『蛙昇天』に参加してくれた中山祐一朗さんと伊達暁くん、つまり今年で結成19年を迎える阿佐ヶ谷スパイダースの面々との再会である。
再会と言うとまるで別れてしまったような響きだが、2011年頃から少しずつ年1回やってきた本公演が不定期になり、どっぷりと向き合う時間はほとんどないに等しい状態になっていたのだ。そこへ来て、最初は月数日ずつという緩やかなスタートなれど半年以上の稽古期間を共に過ごし、また今年に入ってからの2カ月間は、仙台市内の一軒家で3人共同生活を送るという考えもしなかったような時間を過ごしたことで、改めてこれまで共に歩んできた道のりのようなものを感じることができてしまった。
できてしまったというのは、やっぱり照れくさいわけである。稽古が終わると、中山さんの運転する車で帰宅、伊達くんが風呂を沸かし、2人はそのまま台所でせっせと夕飯を準備する。時間としてはもうかなり遅いが、昼過ぎから稽古し続けているため、腹は減る。私はその間に翌日の稽古スケジュールをまとめたり(働いている出演者も多いので稽古スケジュールを組み立てるのが本当にややこしいのだ)、台本とにらみ合ったりしている。やがて食事が出来上がると乾杯して与太話、あるいは稽古や芝居について深夜まで語りながら、代わる代わる風呂に飛び込んでゆく。
翌朝、一番に起きるのはおおむね私なので台所の食器を片付ける。それが終わると伊達くんが自室から下りてきて(二階建ての一軒家)、みそ汁など温め、何となく一緒にほぼ無言の朝飯。中山さんが起きて来る頃には私は自室で勉強、2人はその日の稽古中に食べるお弁当を3人分詰め合わせてくれる。稽古場の近所に食事処がないのと、何よりも短い休憩時間でかっこむにはお弁当が最適なのだ。それからまた車で稽古場へ行く。一度も相談せずに自然とこの連携が組まれていったのだから、やはり歳月というものは偉大なのかもしれない。
ともかく、このほとんど単調とも言えるシンプルな生活の繰り返しは、しかし創作の理想であった。忙しない東京の喧騒(けんそう)から離れ、一つの作品に没頭できる環境は珍しい。中山さんはこの共同生活を「青春」だと言った。確かに軽やかに分担作業をしながら、遅くまで語り合う生活には「青春」の匂いがする。随分とおじさんたちの「青春」ではあるが、ああでもないこうでもないと酒を飲みながら朝方まで真剣に語り合ったり、バカ話で大笑いするエネルギーが、あの頃の自分たち同様、いやむしろそれ以上にまだまだ眠っていたことに、素直に喜べた。
しばらく不定期になってしまっていた阿佐ヶ谷スパイダースを、じっくり再構築していこうかな。と思ったのは必然である。すぐにというわけにはいかないかもしれないが、来年の本公演までの間も、何かアイデアがあれば、慌てずにいじくりまわすことのできるメンバーがいるのだと改めて認識。『蛙昇天』のみならず、こちらももしかすると新たな航海に出るのかもわからないのである。(中塚圭史、写真も/SANKEI EXPRESS)