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【田中大貴アナの「すぽると!」こぼれ話】「三冠王」公言 準備整った中田選手
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4月5日のオリックス戦の五回、打ち上げた打球を目で追う日本ハムの中田翔(しょう)選手。この後、バットをたたき付け、悔しがりながら一塁に向かったが、打球はスタンドに飛び込んだ=2015年、大阪市西区・京セラドーム大阪(山下香撮影) 強烈なインパクトを見せつけたのは、4月5日のオリックスでした。打った本人がバットをたたきつけて悔しがったのに、その打球は左翼席の最前列へと吸い込まれていったのです。日本ハムの4番にして、日本代表「侍ジャパン」でも不動の主砲。プロ7年目を迎えた中田翔選手は今季、さらなる飛躍を遂げようとしています。
「三冠王」。彼は昨年12月、今季の目標をこう話してくれました。2年続けて挑んだ護摩行。激しく燃え上がる炎の前で、プロに入ってから初めて口にした言葉でした。昨年の打点王が自信になっていることは明らかでした。しかし、それ以上に精神的にも技術的にも、その準備が整い始めていることがうかがえました。
年明けから節制に節制を重ねた生活を送ったそうです。朝は卵白のみの卵料理で、昼と夜には脂身のない鶏肉のステーキを4枚ずつ。自分を追い込み、ベストの身体を追い求めました。体重を6キロ絞り込みながら、筋量は増えたといいます。体に切れが出て、しかもパワーもアップ。この身体で今まで以上のパフォーマンスを…。確かな手応えとともに「球春」ともいう開幕の2月1日を迎えました。
6年前。初めて会ったのは、2年目の夏でした。大器と呼ばれながら、なかなか1軍に上がれず苦しんでいた時期でした。夕暮れの千葉・鎌ケ谷の2軍施設で、ボールが見えなくなるまで外野の守備練習を行っていたことを今でも鮮明に覚えています。その後に行った初めてインタビュー。極めて控えめという印象を持ちました。
高校時代に80本近い本塁打を放ってきた平成のスラッガーの口調はおとなしく、決してファンが喜ぶようなメディア的なものではありませんでした。「自分はまだ1軍に上がれるレベルではない」。この言葉を何度も繰り返す20歳がそこにはいました。
豪快な打棒とは対照的な言動。当時は、心を閉ざしているのかと思いましたが、今になって振り返ると納得の言葉でした。冷静に自分を見つめ、自分が超えられるハードルしか口にしない。入団間もないころから、自分の現在地を逃げずに直視できる能力を持っていたのでしょう。プロ入り後、苦労した分だけ、築き上げた基礎も強固になりました。
そんな中田選手が、今年は三冠王を目指すというのです。それだけの力が備わった証拠だと、私は強く感じました。
実は、彼にはまだ語ることのないとてつもない夢があります。米大リーグで4番を打つことです。近年の日本球界で成長が難しいとされてきた右の大砲として、日本野球のプライドを持ってメジャーでも通用することを証明するためにです。
頭の中に描かれているプランはとても明確です。20代のとにかく早い時期に海を渡って勝負したいと思っているそうです。そのために、この2年は150キロを超える速球と手元で動くカットボールやツーシームへの対応を強く意識してバットを振り込んできました。
私はこれこそが「メジャー対策」に他ならないと確信しています。日本代表としてプレーした2013年の第3回ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)、そして14年の日米野球で、夢は確実に膨らみ始めました。海外のトップクラスの投手のボールが徐々に見え始めたと言います。
12年前の2003年。1人の大砲が日本から海を渡りました。松井秀喜さんです。メジャー屈指の人気球団であるニューヨーク・ヤンキースでデビューした「ゴジラ」の一発に日本のファンが酔いしれたように、次は近い将来、中田選手が右バッターボックスから美しい放物線を描いたアーチをかける日が来る-。
彼自身の口からはっきりとファンに公言する日が来るまで、今季も中田選手を追いかけ、その活躍ぶりをお茶の間に届けていきたいと思っています。(フジテレビアナウンサー 田中大貴(だいき)/SANKEI EXPRESS)