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【溝への落とし物】知らない星に降り立つ感覚 本谷有希子
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すごく、いいポスター=2015年3月24日(本谷有希子さん撮影) つい先日、裸足で道を歩くことになった。
けれどこれには理由があって、わざわざの遠出に、足に合わない靴を履いていってしまったのである。しかも出発の時、私はちゃんと履き慣れたスニーカーを選んでいたのだ。それなのに、まあ京都までだし、新幹線だし、仕事だしなあ、と考え直し、革の靴に取り換えてしまった。とんだ間抜けだった。
家を出て、品川駅で新幹線に乗り込む頃には、もうなんとなく、具合が悪い。足の甲のところに、靴の出っ張った部分が擦れるらしく、見ると、皮膚が擦りむけて赤くなっている。
私は、子供の頃から靴擦れというものに悩まされ続けてきた身なのである。一体、自分の足の、何がそんなに嫌なのか、靴達はまるで申し合わせたように、私の足をつれなく拒否した。
しかも、私の右のかかとの形は、横から見ると切り立った崖のように、すとんとまっすぐ落ちている。この丸みのなさのせいで、私は丈の短い靴下を満足に履けたためしがない。きつそうな靴下をあれやこれや買ってきては、毎回チャレンジしてみるのだが、何度試しても、まるで磨かれた床を滑り落ちていくように、靴下はかかとのほうから情けなく、すっぽん、と脱げる。なんとか食らいつく強者が現れても、少し歩いているうちに、やはり、すっぽん、となる。
そんなこんなで、夜になってみんなで食事を済ませ、「さあ、宿まで少し歩いて帰ろうか」という流れになったのに、ひとり、ひぃひぃ言って、うまく歩くこともできない。夕方にホテルでバンドエイドをもらって、応急処置を施していたせいで、どうにかなるだろうと私はのんきに構えていたのだ。が、三枚重ねしたバンドエイドがどうした、とばかりに靴擦れはひどくなっていく一方で、おまけにタクシーもまったくつかまる気配がない。
そのうち、靴を脱いで歩けばいい、とひとりが言い出した。なるほど、確かに、そうすれば靴擦れ問題は解決する。それに私は少し前まで、こういう時、率先して裸足になっていたではないか。裸足で歩くのが、なぜ悪い。そんな気持ちで、まるでアナキストのように、一滴のお酒も入っていないのに、えいっと、ところ構わず脱いでいたのだ。私は生粋の、裸足好きだった。
しかし、そんな私に転機が訪れる。
ある時、Aさんに放たれた言葉に動顛し、それきり、やめてしまったのだ。
Aさんは、たぶん私が「早くタクシーを捕まえればいいのに」ということを遠回しにアピールしているとでも勘違いしたのだろう。冷ややかな目付きで私の足元をチラチラ見ると、たった一言、「嫌みたらしい」とぼそっとつぶやいて、私の裸足を嘲笑(あざわら)ったのだった。
その瞬間、私は、ぎゃっと叫び出したくなった。
「たいして痛くもないのに、そんな大胆なことができる自分に酔っているんだろう、お前」とAさんが内心私に白けていることが、その時、はっきりと分かったのである。そんなんじゃない。私は、擦りむけて血の出た足を突きつけようとした。と同時に、多少いい気になっていたのかもしれない、とまぎれもなく、ぎくっとしたのである。それ以来、私は靴を脱がなくなった。
先週、久しぶりにアスファルトにつけた靴下履きの足の裏は、知らない星の上に降り立ったように、どうにも居心地が悪かった。私は人目を盗むように、すっぽん、すっぽん、脱げる靴下をあげながら、ホテルまでの道を黙々と帰った。(劇作家、演出家、小説家 本谷有希子/SANKEI EXPRESS)