ニュースカテゴリ:EX CONTENTS
トレンド
広島・生口島 「未来心の丘」 パワーあふれる「白亜の庭」
更新
中央にある白い塔の真ん中から、まるで猫が体半分を突き出しているような彫刻=2015年4月9日、広島県尾道市の生口島にある耕三寺「未来心の丘」(田中幸美撮影) 真っ白な階段を駆け上がると、まるでギリシャのアクロポリスのような光景が広がった。辺り一面、大理石でできた白亜の庭だ。
ここは、瀬戸内海に浮かぶ広島県尾道市の生口島(いくちじま)。「瀬戸内しまなみ海道」の尾道側から3つ目の島で、国産レモンの発祥地であり現在も日本一の生産高を誇る。
そんなレモンの島に、大理石で作られた美しい庭園「未来心(みらいしん)の丘」がある。
この庭園は、浄土真宗本願寺派の寺院「耕三寺(こうさんじ)」の敷地内にあり、耕三寺の芸術支援の一環として、イタリアで活躍する広島県世羅町出身の環境彫刻家、杭谷一東(くえたに・いっとう)さん(73)に依頼して2000年に完成した。
庭園は広さ5000平方メートル、高低差は25メートル。白大理石の世界的産地として知られるイタリア・カッラーラから3000トンの大理石をコンテナ船で運び、1988年から12年かけて作り上げたという。
エレベーターあるいは階段を利用して丘の麓に着くと、最初に目に入るのは白い塔のモニュメントだ。塔の真ん中からは猫が体半分を突き出している。丘には大小10あまりのモニュメントが点在。実はそれぞれのモニュメントは仏教の世界を守護する十二天(八方の方位と天地、日月を守護する神)にちなんだ形と配置になっているという。
例えば、北の方角には北をつかさどる「毘沙門天(びしゃもんてん)」にちなんで毘沙門天が踏みつける天邪鬼のモニュメントが置かれる。庭園の中央のひときわ高いところにそびえ立つのは、「日天」が放つ「光明の塔」だ。塔の下にたたずんでみた。日と風と光が一点に集まるようで、えも言われぬパワーを感じた。
≪石の「気持ち」聞いて 空間が躍動する≫
庭園を先に進もうとしたところ、下を向いて大理石の階段を見つめる一行に出くわした。聞くと、この庭園の制作者、杭谷一東(くえたに・いっとう)さんだという。次第に大きくなった大理石の継ぎ目の補修について打ち合わせをしていた。杭谷さんは2~3カ月ごとに日本とイタリアを行き来する生活を繰り返すが、地元・世羅町で個展を開催するため帰国していた。突然目の前に現れた作家に緊張しながら話をうかがった。
杭谷さんはイタリアでの修業時代、落ち込んだり打ちのめされたりしたとき、コロシアムやパルテノン神殿などの古代遺跡を見て「同じ人間が作り上げたものからエネルギーをもらった」という。そして「あのとき自分が感じたように、訪れた人たちに未来への活力や希望を感じてもらい、励みになれたら」という一心で庭園を制作したという。
イタリアから運んだ大理石を助手と2人で掘っては運び、重機を使って組み立てた。設計図はいっさいない。「回りの山並みや海と対話して、この石はどこに行きたがっているかをよく聞いてそこに持っていった」と話す。「こうすると空間が躍動するのです」
杭谷さんは、文化勲章受章者で彫刻家の伯父、圓鍔勝三(えんつば・かつぞう)氏に師事。1962年の日展初入選以来、具象彫刻で連続8回の入選を果たした。しかし、東京で見た「イタリア巨匠展」で、「同じ具象彫刻なのにこんなにオリジナリティーがあるのか」と衝撃を受けた。「空間が動くような作品を生み出す」ファッティーニ教授に師事したいとローマへ渡り、イタリア国立アカデミー彫刻科3年に編入した。27歳のときだ。
修業時代は貧しく、草を食べて飢えをしのいだり、水だけで過ごしたり。「自分の道を見つけろ」というファッティーニ教授の言葉を胸に、10年間もがき続けた。そして1979年、「第1回ヘンリー・ムーア大賞展」に入選。これが日本でのデビューとなった。
これまでに日本だけでなくイタリア、スペインなど世界各地の50カ所以上に彫刻作品を制作。高さ数メートルもある大きな作品が多い。「未来心の丘」は代表作で、2005年には石を使った建築物に与えられる「THE MARBLE ARCHITECTURAL AWARDS(マーブル・アーキテクチュアル・アワード)」の都市景観部門で大賞を受賞した。
「子供のころ、大自然の中で遊んだことが僕に熱中の種を植えてくれた」という。そして、「子供のために自然美術館を作るのが夢」と目を輝かせた。(田中幸美(さちみ)、写真も/SANKEI EXPRESS)
■耕三寺「未来心の丘」 広島県尾道市瀬戸田町瀬戸田553の2、(電)0845・27・0800。アクセスは、尾道港-瀬戸田港は快速船で25分、三原港(広島県三原市)-戸田港は普通船で35分▽しまなみ海道生口島北IC、生口島南ICからいずれも10分。