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現代に通じる「あり得ない風景」 「マグリット展」6月29日まで
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たくさんの山高帽の紳士が、青空に浮かんでいる-。そんなルネ・マグリット(1898~1967年)の絵画は、驚きだけでなく、詩情もあふれている。現代美術に今も影響を与え続ける「シュールレアリスムの魔術師」。その13年ぶりとなる大型回顧展(東京・国立新美術館)が開かれている。イメージの操作によって生み出された、あり得なくも美しい風景に入り込んで、どこまでも彷徨(さまよ)ってみたい。
マグリットも自身の絵について「詩として味わってほしい」と語っていた。題名一つとっても、そうした姿勢が表れている。「赤いモデル」「白紙委任状」「一夜の博物館」…。描いている中身とは関係がないような表現ばかりだ。文学では、日ごろ結びつかないような異質な言葉がぶつかると「詩」が生まれる。マグリットの題名は作品を説明せず、むしろ作品とぶつかりながら、不思議な“化学反応”さえ起こしている。
同じシュールレアリスムの画家と言われるサルバドル・ダリ(1904~89年)やジョアン・ミロ(1893~1983年)らと比べても、マグリットの画風の違いは際だっている。
例えば、「夢の写真」と自ら名付けたダリの絵には、悪夢に出てきそうなグロテスクな怪物、変形した人体や動物が登場するが、マグリットの描く絵の中では、帽子は帽子、リンゴはリンゴであり、間違いようがない。でも、その組み合わせや出現の仕方に、見る者はハッとさせられるのだ。
抽象画、ダダに関わったマグリットはジョルジョ・デ・キリコの形而上絵画「愛の歌」(1914年)の複製を見て衝撃を受け、1925年ごろシュールレアリスムに傾倒した。初期の作品「困難な航海」は、キリコの影響が色濃い。キリコが手袋、古代彫刻、蒸気機関車など普通は結びつかないモチーフを並べて描いた「愛の歌」と、手法がよく似ている。
こうした脈絡のないモノを組み合わせ、見る者のイメージを混乱させて、いわば“迷子”にさせる手法を「デペイズマン」(転置)と呼ぶ。
27年に母国ベルギーのブリュッセルからパリ郊外に移住。24年に「シュールレアリスム宣言」し、シュールレアリスムの中心的な理論家だった詩人のアンドレ・ブルトン(1896~1966年)らと合流した。が、肌が合わなかったのか、わずか3年でブリュッセルに戻った。その後、独自の画風に向かっていく。
その路線の違いの背景として、パリとブリュッセルのシュールレアリスムの質の違いを挙げるのが、国立新美術館の南雄介副館長だ。南副館長によれば、医学を学び、フロイトの精神分析理論に大きな影響を受けたブルトンは、あくまでも無意識の世界と、夢や無意識で描いた「オートマティスム」(自動記述)をシュールレアリスムの柱に据えた。ダリやミロがそれを作風に反映したのに対し、マグリットらベルギー派のグループは、受け入れなかった。
パリ時代のころに描いた「一夜の博物館」には、早くも、オブジェ(物体)と言葉の関係性を混乱させるというマグリット独自の画風が萌芽している。棚に並んだ手首、果物までは言葉で呼べるが、左下のオブジェは何と呼べばいいのだろう。マグリットは終始「夢」ではなく「オブジェ」にこだわった。
第二次大戦中は、ナチスの侵攻から逃れて米国に亡命したブルトンらとは行動を共にせず、ベルギーに残った。一時は「禁じられた世界」のように、印象派のようなタッチで描き、ブルトンらから不評を買った。
その後、以前の作風に戻り、マグリットの独自性は強まった。「白紙委任状」は、見えるものと見えざるものの関係を描いている。マグリットにとって「見えないもの」とは、見えるものによって「隠されているもの」を指す。
ほかに、巨大な岩が空中に浮かぶ「ピレネーの城」(1959年)のようなスケール、重力の混乱や、夜と昼の景色が合体した「光の帝国」(1954年)のような時間の混乱などイメージを操作して「あり得ない風景」をつくり出した。
しかし、マグリットは自分の絵が「何かの象徴や寓意を表しているのではない」とも語っている。南副館長はマグリットの狙いについて「観客がぎょっとしたり、何かの気分に浸ったり、心に与える効果が大事で、何を意味するかは重要でなかった」と指摘する。それは、弟らとポスターなど商業美術を手がけ、いくつものスタイルで描く技術があったから「効果を計算できた」(南副館長)という。しかし、だからこそ、自己主張を押しつける絵より鋭く心に突き刺さるのかもしれない。
マグリットの手法は、コンピューターグラフィックスなど映像・画像の加工技術が発達した現代では、アート、映画、CMなどの分野で当たり前になりつつある。ようやく時代がマグリットに追いついてきたのだ。(原圭介/SANKEI EXPRESS)