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空間満たす「彼女」の存在感 「山口小夜子展」 椹木野衣

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空間満たす「彼女」の存在感 「山口小夜子展」 椹木野衣

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「資生堂_舞」のポスター(撮影:横須賀功光、AD:中村誠、1978年、提供写真)  【アートクルーズ】

 会場に一歩足を踏み入れた瞬間から、「彼女」の気配を感じる。彼女の息吹が、立ち居振る舞いが、残り香が、いくつもの影が、展示室の隅々まで染み渡り、いつのまにか見る者の心の奥にまで入り込んでくる。

 「彼女」とは、山口小夜子(さよこ)。1970年代に、アジアで初めての世界的なトップモデルとして、知らぬ者がいないほどの成功を収めた。が、21世紀に入ってからは、前ほどはその名を聞く機会もなかった。2007年に急逝してからは、なおさらだった。だから、こんなふうに、いささか唐突に彼女が復活するとは、思いもしなかった。しかも、展覧会というかたちを借りて。

 全てを受け入れたモデル

 本来、モデルは忘れられる存在である。年を重ねるほど、心の襞(ひだ)が存在感を高める女優と違って、モデルとは、いわば着せ替え人形、つまりはマネキンにほかならない。余計な内面など、むしろ邪魔だ。主役は、あくまで衣服でなければならない。だからモデルは、成功すればするほど、そんな宿命からの脱却を目指す。人形の代わりなら、いくらでもいることがわかっているからだ。しかし、山口小夜子の特別な存在感は、そうした使い捨ての人形とは、まったく違っている。しかもそれは、モデルから卒業するのではなく、まったく反対に、生涯にわたってモデルに徹することで得られている。

 先に書いたとおり、モデルに内面は必要ない。思うがままに操られる、いわば傀儡(くぐつ)のほうがいい。内面ある人間は、それに耐えられない。しかし、抜け殻のように空虚であるがゆえに、なんにでも化身できる、それがモデルだ。そのことを丸ごと受け入れることで、彼女は、モデルであるがままにモデルを超える存在となった。それは世に言う「スーパーモデル」とも違う。「山口小夜子」としか呼びようのない存在になったのである。

 確立されたスタイル

 この展覧会では、写し身であるがゆえに、なんにでも化身できる力を得た山口小夜子が、そのつど、とりどりの衣服に身を包んだすべての小夜子たちとなり、一斉に並べられている。あるときはポスターに、またあるときは写真に、さらには映像に、人形に、遺品に。彼女はなんにでもなることができる。しかし、それでいて全員が、山口小夜子なのだ。

 さらに大胆に考えてみよう。もしも山口小夜子が、なんにでもなれる器なら、たとえ肉体としては滅びても、山口小夜子という「スタイル」は生き延びる。言い換えれば、彼女の存在感を、ほかの誰かが受け継ぐこともできる。とすれば、山口小夜子は死んでも、彼女の気配を生き生きと再現することは可能なはずだ。黒くて長い髪、死者のように真っ白な顔、すらりと長く延びた、蜘蛛(くも)のような手足、鉢を被ったようなおかっぱ、喜怒哀楽が浮かび上がらない表情…これらの条件を一定の次元で満たせば、そこにはもう一度、彼女が姿をあらわす。まるで蜃気楼(しんきろう)のように。

 けれども、山口小夜子とはもともと、蜃気楼のような存在ではなかったか。陽炎(かげろう)のようにゆらゆらと、資本主義という果てしない砂漠のなかに立ち上る、幻影なのではなかったか。

 だとしたら、本展で、まるで山口小夜子が目の前に生き返ったかの錯覚に陥ったとしても、不思議ではない。私は生前、彼女に2度ほどお会いしたことがある。が、そのときも、彼女はまるで広告やテレビの画面のなかと同じように目の前にいた。その感覚は、彼女が亡くなって、こうして写真や人形という死物を通じて再会しても、あまり変わっていない。

 いわば「降霊術」

 この展覧会は、だから、たんに偉大なモデルを広く回顧した展覧会には留まらない。率直な印象としては、とてつもなく広い場所を借りた、「降霊術」を思わせる。現世とあの世との境界を超え、無限の連鎖と増殖さえ感じさせるその存在は、のちの『リング』における呪縛霊「貞子」や、『新世紀エヴァンゲリオン』における人造生命「綾波レイ」といったキャラクターが持つ、怖さと美しささえ先取りしている。

 展覧会の終盤で、山口小夜子というスタイルを借りて、世代を超え、たくさんのクリエイターたちが彼女と共演し、新作を披露しているのも、注目に値する。

 なかでも、東京都現代美術館で最大の展示空間でありながら、あまりにも素っ気ないため、これまで、ほとんど中身の詰まった展示に成功してこなかった巨大な吹き抜け=アトリウムでの展示が、今回ばかりはすごい。そこでは、ありとあらゆる山口小夜子が同時に共演し、混じり合い、声となり影となり言葉となって、空間を駆け巡る。しかし、そんなことが可能になったのも、彼女自身が、どんな場にでも盛りつけられることができる、巨大な「器」そのものであったからなのかもしれない。(SANKEI EXPRESS

 ■さわらぎ・のい 1962年、埼玉県秩父市生まれ。同志社大学を経て美術批評家。著書に「日本・現代・美術」(新潮社)ほか。最新刊に「後美術論」(美術出版社)、「アウトサイダー・アート入門」(幻冬舎新書)。現在、多摩美術大学教授。

 【ガイド】

 ■「山口小夜子 未来を着る人」 6月28日まで、東京都現代美術館(東京都江東区三好4の1の1)。一般1200円。月曜休館(ただし5月4日は開館)、5月7日は休館。(電)03・5777・8600(ハローダイヤル)。

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