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【ネパール大地震】緊急支援 夫妻から得た大きな勇気
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自宅の前に立つ女の子。もう家に戻ることはできない=2015年、ネパール・バクタプル(ワールド・ビジョン・ジャパン撮影) 4月25日、ネパールをマグニチュード7.8の大地震が襲った。第一報を聞いたのは、海外出張先のホテルだった。ニュース番組で伝えられる情報は混乱、錯綜(さくそう)しており、「大変なこと」になると直感した。
2004年のスマトラ沖大地震、10年のハイチ大地震、そして11年の東日本大震災と、大きな災害が起こるたび現地で緊急人道支援にあたった。すぐに緊急援助を行う同僚に連絡をとり、情報収集を始めた。
大規模な支援のための調整が続く中、5月1日、私はネパールに向かった。
地震による災害対応では往々にして、現地にたどり着くまでが最初の難関である。ネパールの場合、首都にある空港が唯一の国際空港(滑走路は1本のみだが)ということもあり、支援を行うための人員・物資の供給が現場のニーズに追いついていないことが問題になっていた。
どうにか無事にネパールに到着した。その飛行機でたまたま隣に乗り合わせた夫妻から、私は大きな勇気をいただいた。
カトマンズ市内在住のネパール人、バタライ夫妻。オーストラリアに住む息子の結婚式からの帰りで、ご主人のミトラさん(59)はこう話した。「息子の結婚式も無事に終わり、残りの滞在期間を楽しんでいたところ、今回のニュースを聞いたのです。カトマンズの自宅で末娘が留守番をしていたので、大変心配でした。幸い私の家には被害がなかったようですが、カトマンズの街や被害を受けた地域がどうなっているのか不安です」
私が緊急支援のためにネパールに向かっていると知ると、ミトラさんは私に「ホテルはとっているのか」など、滞在に関わることを心配してくれた。そして、「この震災でつながりにくいから」と、娘さんの携帯番号を含めて、私に3つも連絡先をくれた。「何かあったらいつでも連絡して。食事でも何でもごちそうしますから」とまで言ってくれたのだ。
≪子供たちの笑顔 大きな救いに≫
自分の国が大変な状況の中、そこに支援に来る人たちのことを心から心配する。4年前の東日本大震災でも同じようなことがあった。あの時、被災者の方にいただいた温かい気持ちを、大震災のただ中にいるネパールの人からもいただいた気がした。その気持ちは、これから支援活動を行う私の大きな勇気になった。
震災1週間後のカトマンズは、予想よりも落ち着いていた。古いれんが造りの建物がいくつも倒壊していたが、形をとどめているビルも多々あった。ただがれきを撤去するための重機の数は明らかに不足しており、倒壊した建物を素手で片づけている様子は破壊の痛々しさを余計に感じさせた。こんな状態の中でも人々は事態に冷静に対処していたが、それでも余震が起きるたび建物を飛び出す様子は、呼び起こされる「その時」の記憶に追い立てられているかのようだった。
ワールド・ビジョンは地震直後から緊急支援を開始した。支援物資の配布のほか、家族や知人を亡くしたり、避難所で不自由な生活を送る子供たちの精神的負担をやわらげるため、子供たちが安全かつ自由に遊べる場所「チャイルド・フレンドリー・スペース(CFS)」を設置。現場に行くと、子供たちの元気な笑顔を見ることができた。地震で全てを失いつつも、この場所で「子供らしさ」を取り戻しつつあると感じた。また、子供たちの楽しげな笑顔と笑い声は、気落ちしている大人たちにとっても大きな救いになっているようだった。
死者約9000人、約50万棟の建物が全壊したネパール大地震。1カ月以上が経過したが本格的な支援はまだ緒に就いたばかりだ。震源地に近い地域はエベレストに連なる山岳地帯に近く、もともとアクセスが限られている。今後雨期が本格化するにつれて被災者の生活はさらに厳しさを増していくことが容易に想像される。
次々に起きる自然災害や人道危機の中、彼らは忘れ去られていってしまうのが世の常だ。ただ継続的支援こそが被災者一人一人の真の復興を果たしていけることを、東日本大震災を経験したわれわれ日本人はよく知っている。(文:ワールド・ビジョン・ジャパン 坂賢二郎(ばん・けんじろう)/撮影:ワールド・ビジョン・ジャパン/SANKEI EXPRESS)