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夜が電気にのまれてゆくこと 長塚圭史

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夜が電気にのまれてゆくこと 長塚圭史

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電気が嫌いなわけではないんです(長塚圭史さん撮影)  【続・灰色の記憶覚書(メモ)】

 先日、わが家の近所に消防車が何台も集まるという出来事があって、事件でも起きたのかと少々ひやりとしたのだけれど、どうやら停電が生じたということだったらしい。わが家には影響がなかったものの、停電騒ぎというのは実に久しぶりのように思う。

 そういえば昨年『グーグーだって猫である』というドラマに出演させていただいたときに、八王子の一軒家がロケ現場となっていたのだが、日もすっかり暮れた頃、撮影現場一帯が突然暗闇になるということがあった。停電である。住宅街だったこともあるからか、予備電源のようなものが作動する様子もなく、四方ぐるりと完全に真っ暗、撮影はもちろん中断を余儀なくされた。原因は不明。いつ復帰するともわからぬ中、スタッフは発電機を駆使して撮影再開すべくあくせくと働いていた。その間、すっぽりと夜に包まれた電力復帰に無力の私は、しばしその夜景に魅入られた。

 ロウソクにゆらめく顔

 夜。と声に出してしまいたくなるような光景であった。家々から慌ただしく人々が出て来るということもなく、ただ静かに再び明るくなるのを待っている。大きな公園のあるその区域には、おそらく子供のいる家庭も多いはず。大人たちとどんな会話を交わしているのか。震災からの教訓でロウソクなど非常時に備えた道具を用意しているのだろうか。ロウソクを囲んで、かつて大人たちが体験した停電の思い出話が語られたのか。いやいや、こういう時は年の功。祖父母が最も冷静に対処して、戦後の貧しい時代の暗がりの生活が語られたのだろうか。あるいは大志を抱いた青年が、電気の通わない国の人々の生活に想いをはせたのであろうか。

 幼い頃にはちょくちょく停電ということがあったように思う。あまり鮮明な記憶ではないが、東京の渋谷に暮らしていても、停電はやはりあった。そんな時は家族がぐっと寄り添っておしゃべりをする。ロウソクの向こうに見える家族の顔はいつもと違ってみえる。炎のゆらめきで、いつもは平坦(へいたん)な顔に強い陰影が刻まれる。ロウソクの炎にくすぐられるような気がして、私はケケケと笑う。暗闇に消えた家具やら何やらの物質たちは私たちから遠ざかり、炎に照らされた人間ばかりの世界がそこに生じる。キャンプファイアが愛される理由もきっとそこにあるのだろう。世界は眠りについて、炎の周りの者たちのみが鮮やかになる。おおいに語ろうとも、一切語らなくとも、人々の輪郭はむしろはっきりする。

 節電の面影はなく

 発電機が作動して、撮影が再開できることになり、文明の利器に改めて感心したその時に、現場一帯が光を取り戻した。停電が解消されたのだ。スタッフたちからため息がもれる。無駄足を踏んだわけだ。しかし何とかして撮影を進めようとする情熱はしっかりと私たちの胸に響いた。

 それにしても街は明る過ぎる。節電をうたった4年前の面影はすでに消え去ってしまったようだ。必要以上の電気に照らされた人々がうごめく街。夜。と声に出したところで瞬く間に喧騒(けんそう)にのまれてしまう。はっきりと夜なのに、夜は電気にのまれてゆく。

 などと書いておきながら、15年ほど前に公共料金の支払いが滞り電気を止められてしまったとき、私は東京電力の人を待ちながら、日暮れとともに光がうせてゆく冷え込むアパートの一室で、本も読めず、ただ横になって、まったくこれは恐ろしいことだと感じたのだ。電気を奪われることは恐ろしい。恐ろしいと知った上で、夜と電気のもっと上質な関係が生み出せないものなのかと思うのだ。

 深夜、電灯の下、パソコンでこの原稿を書く、つまり電気まみれで電気を問う私は信用に足らない。それでは電気を消して、太陽を待ちましょうか。(演出家 長塚圭史、写真も/SANKEI EXPRESS

 ■ながつか・けいし 1975年5月9日、東京生まれ。96年、演劇プロデュースユニット「阿佐ヶ谷スパイダース」を結成。ロンドン留学を経て、ソロプロジェクト「葛河思潮社」を立ち上げた。26日まで作・演出の舞台『かがみのかなたはたなかのなかに』が新国立劇場にて上演中。出演は近藤良平、首藤康之、長塚圭史、松たか子。

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