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【溝への落とし物】信じられない人々 本谷有希子
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しばらく見ないうちに、金沢駅がこんなことになっていて驚き=2015年4月26日、石川県金沢市(本谷有希子さん撮影) 人前で、平気でせきをできる人間が信じられない。
無論、たんが絡んだり、何かがのどに飛び込んでむせ返ってしまった場合は別として、私が言いたいのは、街でたまに見かける「せきが出ると前もって分かっているのに、なんの策も取らない人たち」のことだ。
よく見てみると、そういう人たちは驚くほど多い。公共の場で、それらしき人を見かけるたびに、私はいつも宇宙人に遭遇したような気持ちになってしまう。一体どんな理由があって、あの人たちはマスクを装着しないという道を選択したのだろう。たまたま忘れてしまっただけなのだろうか。確かに、彼らの中には必死に手で口を覆い隠して、迷惑がかからないように工夫をこらしている者もいる。そういう相手なら、事情を察することができる。
が、中には、どうひいき目に見ても、これっぽっちの申し訳なさも滲ませていない強者がいるのである。彼らはまるで、気にするこちらが悪いのだとばかりに、顔色一つ変えずウイルスをまき散らす。公共の場だから文句を言うなとばかりに堂々としている。いや、そう見えるだけで、やはり彼らも内心びくびくしているのだろうか? 弱みを見せたら最後だと、必死で虚勢を張っているだけなんだろうか…。でも、あいつらのあの顔は人に迷惑をかけることをなんとも思っていないようにしか見えない。
そこまで考えた私は、風邪をひいた人に対して少しの同情心も持っていない自分にどきっとする。彼らだって、好きでせき込んでいるわけじゃない。それなのに。
が、目の前のその人が、こちらの葛藤も知らず、あまりに当然のようにごほごほやっていると、またもだんだん憎らしくなってくる。これはもはや、風邪をうつす、うつさない、という視点で語られるべき範疇(はんちゅう)をとっくに超えているような気がしてしまう。人前でマスクをつけない行為が及ぼす、深刻な問題。それは周りの人間が、病人相手にむかついてしまう己の心の狭さや醜さに、意味もなく向き合わされることなのではないだろうか。
仮にそこまで考えていないつもりでも、私たちはきっと無意識に自分に失望し、傷つき続けているに違いないのだ。そうじゃなきゃ、私にとって、彼らがこんなにもストレスを感じる存在であるはずがない。そして、こんなにも私を傷つけておきながら、何一つ気づいていない、その横顔がますます腹立たしいのだ。
ところが先週、そんなふうに思っていた自分がまさしく風邪をひいてしまった。それも、よりによってのどからくる風邪である。2日間、私は誰にも迷惑がかからないように、ひとりも無駄に傷つけるわけにいかないと、限界まで注意を払った。が、3日目くらいから、せき込みすぎて、せきをしているという感覚そのものがなくなってしまった。病院の帰りに、ベンチに座り込んで顔を上げると、心底、嫌そうな表情で隣のベンチから立ち去る女の人と目が合った。
いくら、こちらがマスクをしていなかったからとはいえ、私は、その心の貧しさに愕然(がくぜん)とした。一体どんなふうに育ったら、あそこまで憎々しげなまなざしを向けられるのかが、まったく分からなかった。
想像力のない人間が、増えすぎたのだろうと思う。私は彼女の去ったほうを向いて、思いきりせき込んでやった。病人に対して、かわいそうだと思えない人間が本当に信じられない。(劇作家、演出家、小説家 本谷有希子/SANKEI EXPRESS)