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【溝への落とし物】物の意地 本谷有希子
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慌てて撮った蝉の孵化=2015年7月20日(本谷有希子さん撮影) 今のマンションに引っ越してきたときから、住人による駐車スペースの私物化が、気になっていた。
むろん、各自が契約している白線内に愛車を収め、ひとさまの陣地にはみ出すようなまねはしない。廊下ですれ違ったときには笑顔で挨拶をしてくれる、みんな、感じのいい人たちだ。
にもかかわらず、地下の駐車スペースの、半ば開き直りとも言える、我の通しかたがすごい。まだ越してきて日の浅い私にさえ、駐車スペースを見れば、誰が古株なのか一目瞭然なのだ。
たとえば、ほこりを被った自転車が置いてある。ガットの切れたテニスラケットが置いてある。夏のあいだ、使わなくなったのであろうオイルヒーターが置いてある。捨てるに捨てられないらしいマットレスが、なぜかむき出しで、コンクリートの壁に立てかけてある。
小さな、ぜんぶで十六世帯ほどしか暮らしていない、小ぢんまりしたマンションだ。築三十年は経過しているらしいが、造りもしっかりしているし、管理人さんの手入れが隅々まで行き届いているおかげで、古くささはほとんど感じさせない。地下にさえいかなければ、住人同様、とても感じがいい。
おそらく、いちばん初めに駐車スペースに私物を置いた人だって、悪気はなかったのだろう。おっかなびっくりではなかったか。なにせ、このマンションの三階には大家さん自身が住んでいて、もちろん車も所有している。だから、初めはたぶん、そこにあっても然るべき品が、誰かの手により、そっと置かれたに違いないのだ。なんだろう。きっと、それは三輪車だ。
苦情を言ってきたり、とがめられたら、すぐ片付けるつもりだった。だが、誰も何も言ってくる気配はない。それならと次には、家の中に置くにははばかられる、普段めったに使わないもの第二弾が、少し思いきって投入されたのではあるまいか。なんだろう。それは、ゴルフセットだ。
こうなれば、あとはもうなし崩しだ。災害用の水のケースが置かれ出す。扇風機が置かれ出す。使わなくなった事務椅子が。虫捕り網が。そのうち、まねをする家族も現れ始める。キャンプ用品が、子供のおもちゃが、続々と運ばれる。そうして、ついに誰かが、専用の棚を設置する。パイプを組んだだけの簡易なものだが、二段、三段と積み上げれば、まだまだ無尽蔵にスペースが確保できる…。
私が越してきたのは、もうそんな光景がすっかり定着してしまったころだったのだろう。公然と積み上げられる私物が増えるたび、すごいなあ、グイグイいくなあ、と私は感心していた。特に車庫用シャッターの真正面に位置する、ある家族の放埒(ほうらつ)ぶりときたら。頭一つ抜けていて、目が離せないものがあったのである。
ところが、そんなある日、エントランスの掲示板に「住人のみなさまへ」で始まる、警告の張り紙が、画鋲(がびょう)で留められてしまった。くだんの放埒家族が、また新たな棚をひとつ堂々と、追加した矢先だった。やりすぎてしまったのだ。住人たちはそれまで吐き出しに吐き出したものものを、来月までにどうにかしなければいけなくなった。
撤去される前に、私は駐車場をじっくり歩き回ってみた。
邪魔だなあと思っていたが、いざなくなると思うと、それはそれで寂しい。積み上がった荷物は、まるで生き物のような存在感を放ち、一朝一夕でどうこうさせはすまいぞ、という威厳さえたたえているように見えた。コンクリートの湿った壁にじっともたれる荷物たちが、何を感じ、何を思うのか、できれば少し聞いてみたくもあった。
翌月、すっかりきれいになった駐車スペースに、誰かがボウリングバッグをそっと置いていた。私が、にやっとしてしまったのは、言うまでもない。(劇作家、演出家、小説家 本谷有希子/SANKEI EXPRESS)