中谷が雪の結晶の研究を始めたのは、東京帝大で寺田寅彦の指導のもとX線や気体吸着にとりくんだのち、イギリス留学をはたして北大の助教授になった1930(昭和5)年からである。それからはひたすら雪三昧、厳寒の北海道の低温実験室に籠もるようにして世界初の人工雪の生成をなしとげた。
中谷の随筆は“科学の心”そのものが文章になっている。でも、浪漫に満ちている。それらを読んで感心したら、ぜひとも石川県片山津の中谷宇吉郎「雪の科学館」に行くといい。雪の不思議のいっさいと中谷のダンディズムが待っている。雪を自分で作れるようにもなっている。
ところで、中谷が日本の科学映画のパイオニアだったことは、あまり知られていない。1938(昭和13)年、肝臓ジストマで療養せざるをえなくなったとき、翌年から『スノー・クリスタルズ』を作成すると、戦後になっても『霜の華』『大雪山の雪』などの記録映画を次々に製作した。このときの「中谷研究室」プロダクションがのちの岩波映画製作所の母体になったのである。