途中、次女と五女を亡くし、続いて母と長男の死、子供たちの病気、妻の死が襲ってきた。西田はその悲しみの連続の只中で、ついに自己を「主客がいまだに分かれていない存在」というふうに掴まえて、その依(よ)って立ったる場所そのものを見つめようとした。それが「絶対矛盾的自己同一」というものだったのである。
われわれは、一と多、「ある」と「ない」、自己と他者、そこにいる自分とそれを支えている場所、見るものと見られるものといった、一見すると対立しあうようなものと一緒に生きている。そこからは逃げられない。だとしたら、どんな矛盾をも包含する決意のようなものが必要なのだ。西田はそれを「絶対矛盾的自己同一」という9文字に凝縮させたのだった。
西田哲学はこの9文字に如実にあらわれている。われわれはさまざまな矛盾を抱えるけれど、むしろその矛盾を極みに達せられたとき、そこに矛盾をさえ純粋にする作用というものが生まれるのである。これで、何かがピンときただろうか。ピンときてもこなくとも、われわれは絶対矛盾的自己同一にこそ突っ込むべきではあるまいか。