最近の中国側の歴史像は大々的な発掘の連打によって、めざましい変化を見せている。幻の夏王朝の全容や春秋戦国の細部が見え出しただけではない。宋代や明代の遺跡や文物や文書も続々と掘り出された。『中国文明史』もそれらの成果を存分に投入して構成してあった。そのためか、そうとう自信に満ちた叙述になっている。
中国人の歴史観には、王朝の栄枯盛衰や地域の民衆社会の興亡を、できるだけ未練をもたないで見るという特色がある。これに対して、日本人の歴史観にはどこかに「無常」が入る。この違いは両国の近現代史の語り方に大きな差異をもたらした。二つの全集の記述にもその相違があらわれた。
たとえば日清戦争前後について、『中国文明史』は「塞外の民(清)が長城を越え、中華の文明の集大成を遂げようとして、王朝最後の輝きを放った」と見る。何が序列を取ろうとしたかが、歴史の目になっているのだ。一方、日本版『中国の歴史』では、「列強のアジア進出に日本が呼応して、海の近代史に異質の表情を与えた」というふうになる。見方がすこぶる相対的なのだ。