桂宮さまは学習院中・高等科時代にはビートルズに熱中、バンドを結成し、自らリードボーカルを担当されたこともある。オーストラリア留学から帰国した翌年の74年10月から85年5月まで、NHKに嘱託として勤務し、サラリーマン生活を経験された。
NHKでは、セレモニーやイベントでの切符もぎり、大道具、小道具の運び役など裏方もご体験。「サラリーマン社会は人間関係も複雑。サラリーマンの苦労もよく分かりました」と、88年1月に三笠宮家から独立して桂宮家を創設した際に振り返られた。
宮家ご創設から約半年後、急性硬膜下血腫で倒れ、車いすでのご生活に。しかし、手術やリハビリに耐え、約3年半後に公務に復帰された。
皇族が車いすで外出すれば、施設のバリアフリー化などが注目され「ほかの障害者の役に立てる」と周囲に語られた。身体や言葉に障害が残ったが、ご自身が総裁を務める団体の行事には折に触れて出席された。
94年から2008年に敗血症で入院するまで、毎年、秋田県で開かれる「桂宮杯全日本学生水上スキー選手権大会」を名誉総裁として欠かさずに観戦されていた。