文章内に生じる時差
というのが実際のところなのだけれども、こうして文章を書く場合、やあ、藤の花が咲いているなあ、と思った。ということにそのすべての気持ちを集約させて、それで終わりにしてしまうことが多い。
なぜならそうしたその瞬間のすべてを書いていると、文章のなかに生じる時間というものがグシャグシャになって、書くものがディレクションできなくなってしまうからである。
なんてことは普段は意識しないのだけれども、そんなことをつい思ってしまうのは、滝口悠生の『愛と人生』を読んだからで、この小説は、何十年にもわたって盆暮れに人の心を和ませ、共感を生んできた国民的と呼称さるる、山田洋次監督作品「男はつらいよ」シリーズを動機としているが、このなかでは、そうした様々の人間の思いが縦横に描かれ、なおかつグジャグジャにならず、小説としてのまとまりを保ち、独自の思想や感情が提示されていた。