1945年2月19日に硫黄島攻略のため米海兵隊が上陸した南海岸。摺鉢山(すりばちやま)は日本軍が地下壕を掘り要塞化した。それぞれの場所で激しい戦いが繰り広げられた=2015年6月15日、東京都小笠原村(早坂洋祐撮影)【拡大】
1000人ほどいた島民たちのうち女性や子供たちを中心に本土への疎開が行われたが、軍属として徴用されていた男性たちは島に残り、82人が犠牲となった。「着の身着のまま漁船に乗り、甲板で毛布に身を隠し米軍の機銃掃射を恐れながら1晩かけて父島に着いた」。14歳で島から避難した山下憲二さん(85)=川崎市宮前区=の記憶は鮮明だ。
6月中旬、山下さんら約40人の旧島民とその家族たちが故郷の島を訪問し、亡くなった家族や友人たちの慰霊碑の前で静かに手を合わせた。
≪変わらぬ望郷 帰還かなわず≫
「1時間でも長くふるさとに滞在したい…」。
先の大戦で2万人を超える日本兵が戦死した硫黄島。国や東京都は、戦没者遺族や旧島民に対する硫黄島慰霊行事を年数回行っているが、飛行機を利用するため滞在時間はごく僅かだ。同じ村出身の旧島民のために、小笠原村ではフェリーで島を訪問し島内の施設に1泊する訪島事業を毎年行っている。6月中旬、かつての島民らが上陸した。