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「玉砕の島」硫黄島 最前線から着の身着のままで疎開 (2/3ページ)

2015.7.17 14:00

1945年2月19日に硫黄島攻略のため米海兵隊が上陸した南海岸。摺鉢山(すりばちやま)は日本軍が地下壕を掘り要塞化した。それぞれの場所で激しい戦いが繰り広げられた=2015年6月15日、東京都小笠原村(早坂洋祐撮影)

1945年2月19日に硫黄島攻略のため米海兵隊が上陸した南海岸。摺鉢山(すりばちやま)は日本軍が地下壕を掘り要塞化した。それぞれの場所で激しい戦いが繰り広げられた=2015年6月15日、東京都小笠原村(早坂洋祐撮影)【拡大】

  • 西部の海岸には米軍が占領後、港湾施設整備のため海に沈めたコンクリート船が点在する。活発な火山活動による隆起で海中から姿を現した。奥は摺鉢山(すりばちやま)=2015年6月14日、東京都小笠原村の硫黄島(早坂洋祐撮影)
  • 9年前に亡くなった母・大平利江さんが硫黄島出身だった松岡馨子さん。利江さんの写真を手に、息子と共に初めて母親の故郷を訪れた=2015年6月15日、東京都小笠原村の硫黄島(早坂洋祐撮影)
  • 帰路に就いた船の甲板から、夕日に映える摺鉢山(すりばちやま)を見守る旧島民たち=2015年6月15日、東京都小笠原村の硫黄島(早坂洋祐撮影)
  • 硫黄島戦の有名な写真がモチーフになった米軍上陸記念壁画。平和学習のため島を訪れた、小笠原村の中学2年生たちが見学していた=2015年6月15日、東京都小笠原村(早坂洋祐撮影)
  • 亡くなった夫が住んでいた自宅跡を訪れた浅沼ヨシ子さん(手前)。今年は息子や娘、孫の計5人で訪島し、森の中から自宅跡を見つけて鎌やノコギリで雑草の生えた土地の手入れを行なった=2015年6月14日、東京都小笠原村(早坂洋祐撮影)

 1000人ほどいた島民たちのうち女性や子供たちを中心に本土への疎開が行われたが、軍属として徴用されていた男性たちは島に残り、82人が犠牲となった。「着の身着のまま漁船に乗り、甲板で毛布に身を隠し米軍の機銃掃射を恐れながら1晩かけて父島に着いた」。14歳で島から避難した山下憲二さん(85)=川崎市宮前区=の記憶は鮮明だ。

 6月中旬、山下さんら約40人の旧島民とその家族たちが故郷の島を訪問し、亡くなった家族や友人たちの慰霊碑の前で静かに手を合わせた。

 ≪変わらぬ望郷 帰還かなわず≫

 「1時間でも長くふるさとに滞在したい…」。

 先の大戦で2万人を超える日本兵が戦死した硫黄島。国や東京都は、戦没者遺族や旧島民に対する硫黄島慰霊行事を年数回行っているが、飛行機を利用するため滞在時間はごく僅かだ。同じ村出身の旧島民のために、小笠原村ではフェリーで島を訪問し島内の施設に1泊する訪島事業を毎年行っている。6月中旬、かつての島民らが上陸した。

「生きている家族は私だけ。来年も帰ってきます。たとえ腰が曲がっても」

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