1945年2月19日に硫黄島攻略のため米海兵隊が上陸した南海岸。摺鉢山(すりばちやま)は日本軍が地下壕を掘り要塞化した。それぞれの場所で激しい戦いが繰り広げられた=2015年6月15日、東京都小笠原村(早坂洋祐撮影)【拡大】
島に到着すると、海岸でも噴煙が上がり火山特有の腐った卵のような臭いが鼻をつく。海上自衛隊の観測では年に1メートルほど隆起する場所があり、「戦前は大人たちが船に乗ってピクニックに出かけ、釣りなどをしていた」(旧島民)と言う、1キロほど沖にあった小島も陸続きになった。活発な火山活動の一方で、空爆や艦砲射撃などで焦土と化した土地にガジュマルが生い茂り、戦いの爪痕はジャングルに消えつつある。
旧島民とその家族に加え、遺族会や小笠原村民などが慰霊のため上陸。強い日差しと地熱による猛暑の中、地下壕や慰霊碑などを回り、亡くなった人々に水を手向け冥福を祈った。旧島民は伸び放題の草木をかきわけ自宅へ“里帰り”した。
多数の不発弾や火山活動などを理由に、政府は「硫黄島民の帰還は困難」との姿勢を崩していない。「島民たちの疎開は続いています。こんな悲しいことはないですよ」と、山下憲二さんは話す。
都心から片道40時間近い船旅、猛暑…。故郷を訪ねるのは容易ではない。旧島民の高齢化が進み、子供や孫の世代が代理で里帰りするケースもある。しかし、故郷への思いは変わらない。「生きている家族は私だけ。来年も帰ってきます。たとえ腰が曲がっても」。島で兄2人を亡くした奥山登喜子さん(82)=千葉県松戸市=は帰路の船上で、遠ざかる島を見ながらつぶやいた。(写真・文:写真報道局 早坂洋祐/SANKEI EXPRESS)