ところが、その文字が部族や民族によって、時代や風土のちがいによって、支配者の権威やネットワーカーによって、多様に、かつ絶妙に変化してきた。メソポタミアの楔形文字やエジプトの象形文字はヘブライ文字やギリシア文字に変化し、ローマン体やゴシック体やイタリック体を生み、亀甲の占いから生じた甲骨文字は広範な漢字となって篆書や隷書や明朝体になった。地球上の各領域をまたいで大きな「文字の生態系」と「語族」が生まれ、植物や動物が多彩な「かたち」を見せたように、また世界の民族に独自の衣裳があるように、文字はめくるめく「モードの体系」となっていったのだ。
文字はあきらかに生きている。生きものなのである。この生きものは、リテラシーとオラリティーを伴っていた。「意味が読める」ということと「発音ができる」ということだ。フェニキア文字に母音をあらわす文字を加えたのはギリシア文字だし、漢字から仮名をつくり、難漢字にルビを付けたのは日本語文字文化の独創だった。現代中国はついに簡体字を採用した。