「手段」から「心地よさ」へ
現代では、癒やしやくつろぎをもたらす曲は珍しくないが、作曲された1888年当時は、ドボルザークやマーラーら後期ロマン派が主流。盛り上がりや終わりのないようなサティの音楽は、なかなか理解されなかった。
サティはやがて「家具の音楽」という考え方に行き着く。日記などの記述を集めた「卵のように軽やかに サティによるサティ」(秋山邦晴・岩佐鉄男編訳、筑摩書房)でこう述べる。
「家具の音楽は根本的に工業的なものです。これまでの習慣では、音楽は音楽とは何の関係もないそのときどきにつくられるものでした。(中略)私たちは、〈有用性〉の要請をみたすようにデザインされた音楽というものを確立したいのです」
サティの言葉「音楽とは何の関係もないときどき」とは、それまでの音楽が聖書や戯曲、英雄礼賛など“音楽以外のテーマ”を表現する“手段”だったことを指す。サティは音楽に、音楽自体の美しさや心地よさを求めようとした。