特別制作の映像公開
ピカビアとのバレエ「本日休演」(1924年)も即興で何が飛び出すか分からない内容だった。しかし、いまでは珍しくないこうした趣向も、当時の音楽界では酷評された。
サティは「卵のように-」の中で、理解されない音楽人生を振り返る。
「すべてのことは、〈音楽〉の欠点というものによって、私におそいかかってきたのである。この芸術は、私に、良いことも、むしろ悪いことももたらした。この芸術のおかげで、私は高貴で立派ですぐれた多くの人びとと仲たがいすることになった」
しかし、前衛美術家たちはサティを愛し、マン・レイは「眼を持った唯一の音楽家」と呼び、サティの音楽をヒントにした「エリック・サティの梨」などの作品を制作。ブランクーシは食事や葬式の面倒まで見た。