このようなむずかしい問題を、小森と瀬尾のふたりは、震災の直後から被災地を訪ね、やがて陸前高田に居を構えることで、現在に至るまで克明に観察し、継続して記録してきた。そのなかから生まれた、奇妙でよるべのない詩情を、ふたりは映像や写真、絵や言葉によって、遠く離れた東京に位置するひとつの部屋にちりばめる。淡々として、どこか静けさにも似たその展示は、震災後、必要以上に奮闘が求められ、祭りのたぐいで士気を高めようとするにぎやかな文化・芸術とは違い、あの日からずっと続く、長く引き延ばされた黙●(=示へんに寿の旧字体、もくとう)にも似て、見る者の心の最奥部に少しずつ、ゆっくりと届いていく。
暗い部屋で繰り返し流されている映像を見ていると、家に帰れなくなった人々が、そこでなにをしていたのかがよくわかる。決して、復興などという簡単な言葉で言い表せるものではない。津波で流された土地の一角に、有志の婦人たちの手で設けられた花畑は、死んでいった仲間たちへの弔いの気持ちが込められている。ある人などは、花畑が気になって、朝早いうちからお世話のため、足を運んでしまったと語る。そうして丹念に手が入れられた花畑は、ささやかだが、古里を失った者たちにとって、もうひとつの原風景を作りあげていく。小さくても別の古里が、自分たちの素手で再興されていく。にもかかわらず、そんな花畑が位置する一角も、嵩上げによって、近く地中に沈むのだという。これをどう言い表したらよいのだろう。津波で流された古里を重機で取り戻すため、自分たちの手で作った、ささやかだが新しい古里がいまいちど土のなかに埋まるのだ。