ところで、顔とはいったい何かというと、ぼくはその本質は「かんばせ」にあるのだと思っている。「かんばせ」は漢字で綴れば「容貌」や「顔」になるのだが、その意味はずばり「面目」(めんぼく)というものだ。たんなる外見だけではなく、その人物の存在の力量、人生の深み、職能性、湛えてきた喜怒哀楽、現在性、名状しがたい弱さ、その他もろもろが渾然一体となって「面目」になるのだが、その様相のすべてが、顔なのである。
では、写真はその顔から何を写しだすのかといえば、まさに「肖像」を撮ってくる。肖像の「肖」とは実は「あやかる」ということで、写真家はその被写体の人物にひそむ「肖」に向かうのだ。そこに面目が「かんばせ」となって出てくれば、それは本人以上になっていく。本人は本人には肖れないものなのだ。「本の顔」「顔の本」も、ナマの本人以上のものが出色するはずだ。本とはそういうものなのである。(編集工学研究所所長・イシス編集学校校長 松岡正剛/SANKEI EXPRESS)