堀江敏幸の「象の草子」は古も古、室町時代とかに成立した説話を集めた御伽草子におさめられたる「猫の草子」という話を書き換えたものだが、原文にはない、梵語の読み書きができて、ある悔悟の念から高僧の下で修行を積んだ象による記録、という仕掛けを導入して、原文を写す鏡のような文章を工夫することによって、原典が創作を映す鏡となると同時に創作が原文を写す鏡となって、その間に、古の文章にあって、いまはないものを現出せしめるという奇蹟を実現している。おそろしいことである。
藤野可織の「木幡狐」は同じく、御伽草子の「木幡狐」を動機とした創作で、原典の雲の上の貴人と野に住む畜類の婚姻という上下関係では足りない、天地関係が顛倒するみたいな話を再度ひっくり返して驕慢な若い女性を上に据えて、いまはあまり使用されない妖術を二重の意味で使用している。どちらにも頭の狂いを助長するようなええ感じの挿絵がついてええ感じなので読んだらええと読み狂人は思います。ええ。(元パンクロッカーの作家 町田康(こう)、写真も/SANKEI EXPRESS)