中国・唐時代2代皇帝の太宗(598~649年)はトルファンから製法を取り入れ、客に自家製のワインを振る舞っていたという。
美しく優雅な酒器
日本に伝わった時期ははっきりしないが、15世紀ぐらいから始まる大航海時代、スペイン、ポルトガル、オランダなどが新大陸、アジア目指して航海し、マルコ・ポーロ「東方見聞録」(13世紀末ごろ)に記された“黄金の国ジパング”を探して日本にやってきたころと思われる。
とくにフランシスコ・ザビエルが1549年、キリスト教を日本に伝えると、“キリストの血”ワインは洗礼に使われる道具として、さらに戦国大名への献上品として広まる。鎖国中の江戸時代は、長崎の出島を窓口に、オランダ商館でワインの宴会が開かれるようになった。
このほか展覧会では、明治政府が殖産興業として国営の「播州葡萄(ぶどう)園」を兵庫県に開いた経緯や、山梨県「甲州ワイン」の生みの親、土屋龍憲(1859~1940年)、高野正誠(1852~1923年)らも紹介されている。