大会本部が用意した3000部のプログラムは大会3日目に売り切れてしまった。最も象徴的なシーンは、昨年12月30日に花園第3グラウンドで行われた常翔学園(大阪第3)-天理(奈良)戦でみられた。地元関西の強豪校同士という好カードとあって、収容2900人のスタンドに5000人のファンが詰め掛けた。階段や通路まで観客を入れても収容しきれず、フィールドを囲むトラック上も開放され、ピッチ近くでファンらは腰を下ろした。
1971年9月28日、全日本-イングランドの死闘が繰り広げられた秩父宮の再来だ。大西鉄之佑監督が率い、原進(阿修羅原)、小笠原博、坂田好弘らの猛者がラグビーの母国をノートライに抑え、3-6で敗れた一戦は長く、日本ラグビーの最高峰といわれた。
1万7000人収容の秩父宮に2万3000人のファンが押し掛け、主催者側はタッチラインぎりぎりまで観客を入れた。当時早大1年だった“炎のタックルマン”石塚武生は場内整理に借り出され、「足先を前の人の尻につけるように芝に座り、整然としていました。皆、指示にきちんと従ってくれました。それがラグビーなんです」と話してくれたことがある。