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「デザインの位置」 勘違いする人が出てくる原因とは?

ニュースカテゴリ:暮らしの仕事・キャリア

「デザインの位置」 勘違いする人が出てくる原因とは?

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 ASEANのある国の公的機関でデザイン戦略を担当する人間が語った。「イタリアよりフィンランドや英国の方がデザインは進んでいるね」と。

 ぼくは、「確かにそれらの国ではデザインの考え方を広めるとか、どう応用するかについて熱心だ。しかし、テキスタイル、ファッション、雑貨、家具から自動車に至るまで産業として成り立っているイタリアを遅れていると見なすような考え方をしていると、おたくの国の産業にデザインが活かしきれないと思うよ」と答えた。

 この時、一つのエピソードを思い出した。日本のクルマのエンジニアが中国の自動車メーカーは日本の先端技術ばかりを欲しがると困惑していた。10年以上前の話だ。「自分たちで図面をひいてきたぼくたちが助けてこそ、先端技術が使えるわけだけど、表現は悪いが、今の彼らには豚に真珠だ」と悪態をついたのだ。

 新興国が何かの分野で先進国に追いつきたい場合、先進国にあるトップのものを取り入れようとする。心情的にはとてもよく分かる。しかし、もともと時と共に歩んだ経緯あっての「先端」である。そのまま持ち込んでも、現実では機能しないことが多い。

 先週、イタリアデザインの歴史を辿りながら生産や販売の現場に足を運び、「デザインの位置」を考えてみた。

 一般に「イタリアはデザインの国」と言われる。2つの流れがあり、一つはトリノを中心としたカロッツェリアが手掛けるカーデザイン。もう一つがミラノ近郊に発展した日常生活空間にある雑貨や家具を対象にしたデザインだ。いうまでもなくテクスタイルやファッションもミラノがメッカだが、過去、イタリアデザイン史を語る際のメインのジャンルとは少し距離があった。

 しかし、今では世界的にカテゴリーを問わずにデザインがトータルに言及されるようになっている。食さえもそのなかに入る。そこでライフスタイルが訪れる人の目に見えやすく、経済的にも大きな位置を占めているイタリアのデザインが「ただ恰好だけじゃないんだね。深く生活に根差したものなんだ」と外の人からも再評価をうけるようになっている。

 この全体への潮流のなかで、デザインに携わる人たちの思考や仕事のやり方をもっと事業企画や大きな社会の仕組みに応用していこうとの動きがある。このタイプの話をするとき、冒頭のASEANのデザイン戦略担当が語るように、北欧や英国などの広い意味でのデザインが引用されやすい。

 実は、イタリアにおいても例外ではない。社会起業家やIT関係者の集まりに参加すると、国境を越えて同じような語彙が使われている現実を目にする。しかもデザイナーも「我々の仕事に境界はない。多くの分野の経験やネットワークが新しいアイデアを作る」とアピールする。

 ここに「デザインの位置」を勘違いする人が出てくる原因がある。

 人には得意不得意があるように、デザイナーにもそれがある。デザイナーがもつ好奇心と大きな世界を構想したいという欲求から、いろいろなジャンルに渡ってデザインをしたい人が少なくない。その傾向は個人的蓄積として、あるいは社会的な刺激として大いに歓迎すべきことだ。

 しかし、デザインされたモノが売れるかどうかになると話は変わってくる。カーデザイナーが作った精密機器が売れることはあるが、ファッションや家具となると売れるものが減る。デザインの分業が今ほど明瞭でなかった時代でさえ、建築家や家具をメインとするデザイナーの自動車デザインは評価しづらい結果であることが多い。

 そうしたところから、「デザインの国」と呼ばれるには、それぞれの分野で優秀なデザイナーが層として存在しないといけない。ゆえに複数の産業が世界で評価され、そのコアの価値にデザインがあると思われる国はそう沢山はない。 

 イタリア、フランス、ドイツ、日本あたりが上位クラスではないか。それ以外の国では突出したデザイナーはいるが他国の企業のための作品が多かったり、一社だけ有名な企業があるが、その次のポジションにある企業との距離が大きすぎたりする。そういう観点からすると英国も韓国も上位グループから外れると思う。どこかの国の限られた業界のトップ企業の活躍や教育だけをみて判断すると見誤るだろう。

 一極集中型の産業発展をしてこなかった日本に「デザインの国」としての潜在力は高い。

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